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アウガルテン高射砲塔 ( 1/2 )
Augarten Flakturm
ウィーン、フリードリッヒ タムス、1942年
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【01】
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【02】

ガイドブックに載っていない巨大構造物

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ウィーンの北部に位置するアウガルテン公園は、ガイドブックにはアウガルテン宮殿の中の磁器工房やウィーン少年合唱団の寄宿舎が観光名所として紹介されています。しかし、公園を訪れた観光客は、ガイドブックに載っていないふたつの巨大構造物の存在が気にならずにはいられないでしょう。
 
これはナチスドイツが建設した高射砲塔です。1938年にドイツと併合したオーストリアは第二次世界大戦中に連合国軍の爆撃を受けるようになり、ウィーンの防空のために高射砲塔が建設されました。

ウィーンを囲む三角形

高射砲塔は二基一組で運用されて、このワンセットがウィーンを取り囲む三角形を描くように配置されました。つまり、二基一組の3カ所で合計6基の高射砲塔が建てられたわけです。
 
地図で位置関係を説明すると、青く塗ったエリアがウィーン旧市街でその輪郭の太線はリングシュトラーセ(かつての城壁を撤去した跡に作られた環状道路)、三角形の頂点にあるふたつの赤マーカーがアウガルテン、残る二点の青マーカーが他の高射砲塔です。

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【03】

高射砲塔の現状

あまりにも頑丈すぎて解体には巨額の費用を要するために、高射砲塔は6基とも現存しています。そのうち、6区の公園にある1基だけは、水族館やロック クライミングの練習場に再利用されているものの、他の5基は放置状態に置かれています。ガスタンクを商業施設や集合住宅に再生したウィーンといえども、この高射砲塔の使い道はなかなか決められないようです。

ナチスドイツの負の遺産

こんな目立つ物がガイドブックでほとんど紹介されないのは、やはりこれがナチスドイツの負の遺産だからでしょう。戦時中はドイツ側で戦ったオーストリアでしたが、戦後は加害者ではなくナチスの犠牲者として振る舞ったため、オーストリアにおける戦争責任問題は長年にわたりタブー視されてきました。華やかな古都に不釣り合いな高射砲塔の姿は、この問題を無言で訴えているかのようです。

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【04】 Google Earthのキャプチャ(左:G塔、右:L塔)

高射砲塔の機能

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塔の高さは30〜40m、爆弾の直撃に耐えられるよう壁は2.5〜5mもの厚さがあります。2基の塔は形が異なり円柱型はG塔、四角柱型はL塔と呼ばれています。G塔では屋上に設置した高射砲で対空射撃を行い、L塔は屋上のレーダーで指揮を執るという役割分担でした(アウガルテン以外も同様)。
 
壁面上部に片持ちで突き出ている円形バルコニーのところには、防御用の機銃が据えられていました。その下に何本も突き出ている竿のような部分の機能は分かりません。
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【06】

市民のシェルター

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高層塔を建設したのは、平地で高射砲の射界を広く確保するためという軍事上の理由によりますが、これほどの巨大構造物を高射砲陣地だけに使うのはもったいないわけで、内部は最大3万人の市民を収容するシェルターになっており、空調や発電機等の設備、医療施設、食料庫なども備えていました。

設計者

設計はドイツの土木技術者フリードリッヒ タムス。ベルリン市橋梁建設局をはじめ、アウトバーン建設顧問や戦後はドイツ都市国土計画アカデミー会長などを歴任し、戦前戦後を通して土木構造物の設計や都市計画に活躍しています。

名称

アウガルテン フラックトゥルム(アウガルテン高射砲塔)

Augarten Flakturm

設計者

フリードリッヒ タムス

Friedrich Tamms

所在地

ウィーン2区アウガルテン公園

用途

軍事施設(高射砲塔、シェルター)

第二次大戦後は放置状態

竣工

1942年

構造・規模

構造:鉄筋コンクリート造

面積:未確認

交通

鉄道:路面電車 Obere Augartenstr. 駅下車


参考文献

  1. 『SD』1986年2月号 特集:ナチスドイツのウィーン要塞、鹿島出版会
  2. 『建築文化』2002年2月号 特集:ウィーン20世紀建築MAP、彰国社
  3. 『ドイツ本土防空戦』歴史群像 第二次大戦欧州戦史シリーズ19、学習研究社
  4. 『ドイツの火砲』広田厚司、光文社

リンク

  1. ウィーン今昔物語 > ウィーンあれこれ今物語 >  対空高射砲塔の行く末
  2. SERVUS! > フラクトゥルム
  3. 高射砲塔 ウィキペディア
  4. Flak tower ウィキペディア(英語)

公開日:2002年9月8日、最終更新日:2011年6月18日、撮影時期:2002年1月
カメラ:Nikon COOLPIX 775(Photoshopで修正)

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