【02】
ウィーン分離派
近代化に伴い社会の体制や価値観が大きく変化する中、保守的な芸術の在り方を批判し、新たな芸術運動を目指す動きが19世紀末のヨーロッパ各国で起こりました。ウィーンにおいても、当時美術界を支配していたウィーン美術家同盟の保守的な姿勢に不満を持つ芸術家達が1897年にウィーン分離派を結成。画家のグスタフ クリムトを中心に、建築界からはオットー ヴァーグナーやヨーゼフ マリア オルブリッヒらが参加しました。
ウィーン分離派は実質的な活動期間は短かったものの、各国の美術・建築界に大きな影響を与え、近代建築史に大きな足跡を残します。ちなみに、堀口捨己・山田守らが結成した我が国初の本格的な建築運動とされる分離派建築会も、ウィーン分離派に触発されたものです。
【03】
新旧両派がカール広場で対峙
セセッション館は、分離派メンバーが作品を発表する場として、ヴァーグナーの弟子であるオルブリッヒの設計で建てられた美術館です。敷地はカール広場の西端。カール教会があるこの広場はウィーンの主要な広場のひとつで、北側道路沿いには前述のウィーン美術家同盟の拠点であるキュントラーハウスがあります。そこにセセッション館やヴァーグナーによるカールスプラッツ駅が相次いで完成し、図らずも新旧両派がカール広場で対峙する形になりました。
結成時の勢いが表れたデザイン
この建築でまず目を引くのが、ファサード上部の金色のドームでしょう。これは月桂樹の葉の集合体なのですが「黄金のキャベツ」などと呼ばれています。その下には「時代に芸術を、芸術に自由を」の文字。これらは分離派結成時の意気込みを物語っているといえます。
【04】
装飾の特徴
植物がモチーフのグラフィカルな装飾は、ヴァーグナーのカールスプラッツ駅や 集合住宅にも見られる手法ですが、フクロウ・トカゲ・カメといった動物をかたどった彫刻・レリーフ類はセセッション館独特のものです。特に、エントランス上部のメドゥーサ(写真01)には思わずギョッとしてしまいます。
【05】
トップライト
19世紀末はウィーンでも本格的なガラス建築が登場し、シェーンブルン宮殿の大温室( パルメンハウス)が1882年に完成していたものの、これがいわば「ガラスの宮殿」を思わせる外観だったのに対して、セセッション館のトップライトは機能的な形状に徹しています。
【06】
展示室の採光における先進性
さらに、展示室は白一色に仕上げられ、間仕切り壁は展示内容に合わせて自由に動かせるなど、セセッション館は「ホワイト キューブ」と呼ばれる現代の展示空間をいち早く実現していました。
名称 | セセッション館(ゼツェッション館、ウィーン分離派館とも) Secession Building |
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設計者 | ヨーゼフ マリア オルブリッヒ Joseph Maria Olbrich |
所在地 | オーストリア、ウィーン1区 |
用途 | 美術館 |
竣工 | 1898年 |
構造 | 未確認 |
交通 | 鉄道:地下鉄U1・2・4号線 Karlsplatz駅下車 |
備考 | 現在も美術館として使われている。開館時間や展示内容は公式サイトで確認のこと。 前面道路は交通量が多いため、撮影にはやや苦労する。 |
マーカー左からセセッション館、カールスプラッツ駅、カール教会
参考文献
- 『建築文化』2002年2月号 特集:ウィーン20世紀建築MAP、彰国社
- 『世界の建築・街並ガイド5』24・50・67〜68頁、エクスナレッジ
- 『ウィーン分離派館の成立とトップライト』海老澤模奈人(東京工芸大学工学部建築学科 准教授 博士)、日本建築学会大会学術梗概集(中国)2008年9月
リンク
- Secession 公式サイト(独・英語)
- オンライン・ウィーンガイド ウィーン − 行くなら今! > セセッシオン(分離派会館)
- セセッション館、ウィーン分離派、ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒ ウィキペディア
建築マップで紹介しているオルブリッヒの他の建築
- ルートヴィヒ大公結婚記念塔(ドイツ ダルムシュタット、1907)セセッション館の完成後にオルブリッヒはウィーンを離れ、ドイツで芸術家村の建設を手掛けるが、41歳の若さで死去している。
公開日:2002年10月5日、最終更新日:2012年6月16日、撮影時期:2002年1月
カメラ:Nikon COOLPIX 775(Photoshopで修正)