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福岡ひびき信用金庫本店 1/2 )
Fukuoka Hibiki Shinkin Bank Head Office
福岡県北九州市、村野藤吾、1971(昭和46)年
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【01】八幡駅の立体駐車場から国際通りを見る。中央が福岡ひびき信用金庫本店、その右が八幡市民会館。

福岡ひびき信用金庫の概要

福岡ひびき信用金庫は福岡県の北九州市や県北部地域を営業基盤とする金融機関で、2001(平成13)年に北九州八幡信用金庫と若松信用金庫が合併してこの名称に、2002(平成14)年に新北九州・門司・築上・直方の各信用金庫とも合併して現在の体制になりました。いずれも北九州市や県北部で営業してきた信用金庫です。八幡信金の地盤である旧八幡市(現在の北九州市八幡東区と八幡西区)は、八幡製鉄所をはじめ多数の工場が集まる工業地帯として戦前から発展。八幡市には工場労働者とその家族、そして彼ら相手の商売人などが集まり、工業だけでなく商業も盛んになります。これが八幡信金の発端となる八幡庶民金庫が1924(大正13)年に設立された事情であり、他の信用金庫もやはり北九州工業地帯や炭鉱地帯の地域経済を支えてきた歴史があります。

村野藤吾氏と旧八幡市の関係

Googleマップのキャプチャ

Googleマップのキャプチャに付記

福岡ひびき信用金庫の本店はもともと八幡信金の本店だった建物で、村野藤吾氏 註1 の設計により1971(昭和46)年に竣工しました。彼が選ばれたのは、旧八幡市で育った有名建築家であり八幡信金の理事長と小学校時代の友人だったことと、既に八幡の公共施設を手掛けていた実績が理由です。
 
戦時中、空襲で大きな被害を受けた八幡市は、戦後の復興計画として八幡駅前に大通り(国際通り)やロータリーを設けるなどの区画整理を行い、沿道に公共施設を整備しました。このうち、村野氏は 八幡図書館(1955・昭和30年、現存せず)と 八幡市民会館(1958・昭和33年、閉鎖中)を設計し、平和ビル 註2(現存せず)という集合住宅も部分的に手掛けるなど、郷土の建築家として八幡市のまちづくりに積極的に関与していたのです。八幡信金は戦災復興が一段落した後の仕事で、当地における村野氏の最後の建築になります。
 
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左から八幡市民会館、八幡図書館、平和ビル第1棟

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【04】八幡市民会館から信用金庫(左)と図書館(右)を見る。

敷地形状を活かしたデザイン

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Googleマップのキャプチャ

福岡ひびき信用金庫本店は鉄骨鉄筋コンクリート造の地下1階、地上7階建て(および塔屋1階)。八幡駅前から真南に延びる国際通りと、これと斜めに交わる県道との交差点の角地のうち、南東側に本店は建っています。ここは交差点に面した三角形というやや難しい敷地なのですが、読売会館・有楽町そごう(東京都千代田区、1957・昭和32年、現・ビックカメラ有楽町店、右の写真)や 西山記念会館(兵庫県神戸市、1975・昭和50年、現存せず)などから分かるように、村野氏は不定型な敷地が得意で、この建築の場合も敷地条件を上手く活かしたデザインがなされています。
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ホール棟

建物は手前のホール棟と奥の事務所棟で構成されています。ホールが併設されているのは、八幡信金が八幡製鉄所からこの敷地を購入した際、“地区住民の便宣に供する会館の建設”との条件が付いていたからで、これは区画整理に伴う換地で製鉄所が八幡市からこの土地を入手した際の条件を引き継いだものです。

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左:日本興業銀行本店(Googleストリートビューのキャプチャ)、右:西山記念会館

ホールは柱で2階レベルに持ち上げられ、下部のピロティは駐車場になっています。後年、先端にATMコーナーが増築されてピロティの良さが損なわれた点が、やむを得ないとはいえ残念です。ピロティや外壁の傾斜、そしてコーナーと頂部のスリットは、ホール棟を軽やかに見せることに効果を発揮しています。コーナーのスリットは、その後の日本興業銀行本店(東京都千代田区、1974・昭和49年、現・みずほコーポレート銀行本店)や西山記念会館にも見られる手法です。

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事務所棟

事務所棟はホールを囲むように建ち、ホールとともに左右対称形をしています。まず目に止まるのが屋上両端の塔屋。カーブと傾斜の付いた鋼板のカバーがユニークです。窓もよく見ると複雑なデザインになっていて、しかし各部に特徴がありながら全体的な調和も取れているところに、村野藤吾氏の手腕を感じます。

名称

福岡ひびき信用金庫本店

Fukuoka Hibiki Shinkin Bank Head Office

旧名称

北九州八幡信用金庫本店

Kitakyusyu Yahata Shinkin Bank Head Office

設計者

村野藤吾 / 村野・森建築事務所

MURANO Togo / Murano and Mori, Associated Architects

所在地

福岡県北九州市八幡東区尾倉2-8-1

用途

金融機関(信用金庫)

竣工

1971(昭和46)年

構造・規模

構造:鉄骨鉄筋コンクリート造

建築面積:未確認、延床面積:7,233m2

階数:地下1階 地上7階 塔屋1階

交通

鉄道:鹿児島本線 八幡駅下車 徒歩約5分

上から福岡ひびき信用金庫本店、八幡図書館八幡市民会館


補註

  1. 村野藤吾(むらのとうご)、1891〜1984(明治24〜昭和59)年。現在の佐賀県唐津市に生まれ、幼少期は唐津で、青少年時代は福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)で暮らす。小倉工業高校を卒業して八幡製鉄所に勤め、兵役を経て早稲田大学の電気学科に入学し、途中で建築学科に転科する。卒業後、大阪市の渡辺節建築事務所に就職して研鑽を積み、1929(昭和4)年に大阪で独立。以後、晩年まで活躍し、関西を中心に各地で多数の建築を手掛けた。
  2. 筆者の個人サイトで紹介している(詳細記事)。

参考文献

  1. 『村野藤吾建築案内』村野藤吾研究会編、TOTO出版
  2. 『北九州地域における戦前の建築と戦後復興の建築活動に関する研究』尾道健二(九州共立大学工学部建築学科 教授)・内田千景(同 大学院生)・開田一博(北九州産業技術保存継承センター研究員)、北九州産業技術保存継承センター・九州共立大学、非売品

リンク

  1. GMT foto @KitaQ > 村野藤吾建築保存
  2. 福岡ひびき信用金庫村野藤吾 ウィキペディア

公開日:2014年2月22日、最終更新日:2014年2月22日、撮影時期:2012年1月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)

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