【302】
解体を免れた背景
各地の竪坑櫓がほとんど解体された中で志免炭鉱が残ったのは、頑丈なワインディングタワー型だったことが幸いしたからだといえます。実際、昔の志免町には炭鉱遺構を保存する意志はなく、いくつかの遺構は撤去されています。また、志免町に限らず旧産炭地においては、事故や鉱害、労働争議、閉山後の衰退といった負の側面から、保存の必要はない、炭鉱の歴史は払拭したいと思う方々がいることも事実です。
以前の志免町は、炭鉱跡地の所有者である新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の負担で竪坑櫓を解体した上で、土地の無償譲渡を受けたいと考えていました。一方、NEDO側は竪坑櫓と土地は一体で無償譲渡するとの意向で、この場合は竪坑櫓の解体費用は町の負担になります。
【303】
保存への方針転換
こうして多額の費用がネックで解体に踏み切れないでいる間に、近代化遺産を再評価する気運が高まり、地元で保存活動を行う有志や学術関係者、インターネットで存在を知った人々から、保存を望む声が上がり始めます。これを受けて町は方針を転換し、解体はしないが当面は補修工事もしない「見守り保存」という形で残すことを決定しました。ただ、2009(平成21)年に国の重要文化財に指定されたことで、将来は何らかの工事を行う可能性はあると思います。
現在は、コンクリートが落下するおそれがあるため竪坑櫓の周囲にフェンスを設け、内側への立ち入りが禁止されていますが、外側からの見学は自由にできます。竪坑櫓の近くには総合福祉施設や公園が整備されて市民の憩いの場になっています。竪坑櫓を見ながら育った子ども達によって後世に受け継がれてゆくことでしょう。
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ライトアップの迫力
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