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志免炭鉱 ( 8/10 ) 商店街・炭鉱住宅
Shime Coal Mine
福岡県糟屋郡志免町 他
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【802】

大正町商店街
住所:福岡県糟屋郡志免町志免2・東公園台1
 

小規模ながらアーケード付き

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炭鉱の現役時代、大正町商店街をはじめとする町内の商店街は大勢の人で賑わっていました。今はひっそりとしていますが、商店街の一部に架かっている小さなアーケードに往時の面影が感じられます。 今では珍しい木造アーケードという点も見所です。この商店街は映画『信さん・炭坑町のセレナーデ』のロケ地にも選ばれました。
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【803】

鉄道が横切る商店街

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木造アーケードはふたつに分かれていて、その間を道路が横切っています。実はこの道路は前ページで紹介した香椎線貨物支線(旅石線)の廃線跡です。商店街と線路のどちらが先にできたのかは分かりません。
 
現代の私達の感覚では危なっかしく思えますが、昔はあまり気にしなかったのでしょうか。また、比較的本数が少ない支線ということで大目に見られたのかも知れません。

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【804】

炭鉱住宅
住所:福岡県糟屋郡須恵町旅石 他
 

炭鉱労働者の住まい

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炭鉱労働者の住まいを炭鉱住宅、略して炭住(たんじゅう)と呼びます。炭住は、長崎県の 端島炭鉱(軍艦島)のように鉄筋コンクリート造の中高層アパートだったところもありますが、大半の炭鉱は木造長屋です。事故と隣り合わせの炭鉱だけに、労働者とその家族同士の結びつきは強く、どの炭住街も緊密なコミュニティが生じていました。

炭住の現存状況

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志免炭鉱においては、竪坑櫓とボタ山の南側(須恵町旅石)を中心に木造長屋が並ぶ炭住街が形成されていて、さすがに大半の住宅は建て替えられたものの、何棟かは改修されながら現存しています。
 
また、左の地図を見ての通り、道路と街区はほぼ当時のまま。炭住街のメインストリート(写真804)はボタ山の方角に向いています。旧産炭地を巡るとたまに炭住を目にしますが、ボタ山と炭住がセットになった光景はもうほとんど残っていないでしょう。


スライドショー7 商店街と炭鉱住宅(11枚)
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