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志免炭鉱 ( 9/10 ) 糟屋炭田の遺構
Shime Coal Mine
福岡県糟屋郡志免町 他

糟屋炭田

志免炭鉱の他にも、福岡市東部に位置する糟屋郡の久山町・粕屋町・志免町・宇美町・篠栗町・須恵町には複数の炭鉱が存在していました。この糟屋郡の炭鉱を糟屋炭田といいます。さらに福岡市内にも複数の炭鉱があり、こちらは福岡炭田と呼ばれますが、実際のところ両炭田はほぼ一体と見ていいでしょう。このページでは、糟屋炭田の炭鉱遺構の中から比較的大きくて見学が容易なものをいくつか紹介します。
 
左の地図の紫マーカーが糟屋炭田の遺構、青マーカーは2〜8ページで紹介した志免炭鉱関連の遺構です。


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【901】

山田炭鉱
住所:福岡県糟屋郡久山町山田
 
麻生鉱業 註9-1 が1948(昭和23)年に開坑、ホームコール(家庭用炭)を供給していました。最盛期には300人以上の従業員を抱え月産約1万トンの実績がありましたが、炭層に松岩(珪化木)を含む難点から機械化の効果を十分に発揮できず、さらに採炭区域が田畑・住宅地に移ってきたことに伴い多額の鉱害対策費が予想されたため、1967(昭和42)年に閉山します。
 
3基のホッパーなどが現存。糟屋炭田では志免炭鉱の竪坑櫓に次いで大きな遺構です。

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【906】
山田炭鉱 ボタ山
住所:福岡県糟屋郡久山町山田
 
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上述のホッパーの背後にはボタ山があって、その中腹からは煙が出ています。これはボタに含まれる石炭が自然発火しているのです。炭鉱の現役時代には普通の現象で、どのボタ山からも煙が立ち上っていたそうですが、閉山から数十年が経過した現在も自然発火が続いているのはかなり珍しい。臭気がかなりきつく、ガスを吸い込むと健康を害するおそれがありますので、見学時はご注意ください。

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【907】
山田炭鉱 索道の支柱
住所:福岡市東区名子2-1
 
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索道(さくどう)とはロープウェイやリフトのこと。炭鉱等の鉱山でも輸送手段に使われていました。山田炭鉱では、上述の採炭現場から香椎線土井駅付近まで石炭を索道で運び、そこからは貨車に積んで輸送していたようです。この種の設備も閉山とともに撤去されるものですが、福岡市郊外に索道の支柱が1本だけ残っています。

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【908】

勝田炭鉱
住所:福岡県糟屋郡宇美町平和1
 
勝田炭鉱は1910(明治43)年の開坑以来、所有者が何度が変わった後、1937(昭和12)年に三菱鉱業(現・三菱マテリアル)のものになりました。閉山は1961(昭和36)年。写真のコンクリート構造物は石炭の選炭・積み出し施設の跡です。勝田線から分岐した引き込み線がここまで延びていて、石炭を運んでいました。遺構の中を公共の階段が横切っていて、間近から見学することができます。

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仲原炭鉱
住所:福岡県糟屋郡粕屋町大字仲原字花ヶ浦
 
1888(明治21)年に設立された粕屋採坑会社が1890(明治23)年頃に仲原(なかばる)炭鉱を開坑しました。糟屋炭田ではかなり初期の炭鉱です。現在は花ヶ浦公民館そばのゲートボール場の片隅にレンガ構造物だけが残っています。現地案内板は竪坑と記載していますが、巻上機台座との説もあります。

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スライドショー8 糟屋炭田の遺構(22枚)
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