内部
2ページでは八幡市民会館の内部のうち、階段、ホワイエ(観客の歓談スペース、ロビーとほぼ同じ)、ロビー、ホールについて紹介します。村野藤吾氏は“階段の名手”といわれるほど階段のデザインが上手で、旧千代田生命本社ビル(現在は目黒区総合庁舎、東京都、1966・昭和41年)の階段 註4 に代表される曲線美は実に見事なものです。一方、八幡市民会館においてはホワイエのメインとホール両側面のサブどちらも直線的な階段ですが、巧みな空間構成によって魅力的な階段に仕上がっています。なお、以降の室名は八幡市民会館公式サイトの平面図に従います。
【202】地階〜1階の階段
【203】1階ホワイエ
【204】1〜2階の階段
魅力的な階段
メイン階段を下から順に説明すると、地階のエントランスを入ると正面奥に階段があり、これは踊り場で左右対称に二手に分かれて1階に繋がっています(写真202)。前ページで述べた通り、当初、観客は外部のスロープでテラスから1階にアクセスする計画で、地階~1階の階段は必ずしもメイン動線ではなかったためか、やや閉鎖的な感じがします。もっとも、これは1階に上がったときの開放感の演出とも考えられます。
1階ホワイエは当初のエントランスロビーであり、写真203では狭く見えるものの、柱の奥に十分なスペースが確保されています。左のガラスの外がテラス。そして、1~2階を繋ぐ階段も下階と同じく中央から左右対称に分かれ、今度は直角に2回折れ曲がって2階に上がります。地階から2階までの階段は平面図でこそシンプルですが、実際に階段吹き抜けを見ると、エッシャーの絵画を思わせる複雑な空間構成に魅了されずにはいられません(写真204)。
【205】1〜2階の階段吹き抜け
【206】吹き抜けから2階ロビーを見る
【207】2階から階段を見下ろす
内部空間の意図
2階のロビーから吹き抜けを見下ろすと、階段がどのような構成になっているかがよく分かります。何かのイベントでここが大勢の人であふれた際は、階段を行き交う人々の様子が一望できるわけです。そして窓の外に広がる八幡のまちなみ。来場した市民は、自分も八幡の街の一員であることを強く実感することでしょう。
左:福岡ひびき信用金庫、右:樹木で見えにくいが八幡図書館
柱が赤いのは、ローコストな内装でも建築の存在感を示そうとしています。前ページでファサードが古典寄りだと述べましたが、内部の列柱や左右対称の階段もやはり古典的な手法です。装飾を廃したモダニズムのスタイルで古典的な空間を構築したところに、過去から現代の建築様式に精通して使いこなす村野藤吾氏の手腕を感じることができます。
【208】側面の階段(2〜3階)
【209】側面の階段(3階)
【210】3階ロビー
サブ階段と手すり
次はホール側面のサブ階段について。こちらは一見何の変哲もない階段ですが、連続する手すりが空間にリズムを与え、ここを上り下りしてみたいと思わせます。メインの階段共々、技巧的なディテールというわけではないものの、流れるような手すりは視覚だけでなく身体性に訴える力があります。また、3階ロビーは率直にいって幅が広い廊下程度のものですが、ヴォールトを横向きに連ねた天井に特徴が見られます。
【211】ホール
【212】ホール
【213】2階ロビーの窓
ホール
ホール自体はごく標準的なシューボックス型で、オーケストラ ピットも備えています。そもそも昭和30年代当時、地方に本格的なホールはまだ少なく、八幡市民会館は九州では最初期の現代建築によるホールです。客席数は竣工時1750席、現在は1454席。
他に見所を付け加えると、2階ロビーの両側面にあるピアノの鍵盤を元にした装飾窓がユニークです。
八幡図書館は解体、市民会館は機能廃止のうえ活用策を検討
【214】
名称 | 八幡市民会館 Yahata Citizun Hall |
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設計者 | 村野藤吾 / 村野・森建築事務所 MURANO Togo / Murano and Mori, Associated Architects |
所在地 | 福岡県北九州市八幡東区尾倉2-6-5 |
用途 | ホール、ギャラリー |
竣工 | 1958(昭和33)年 |
構造・規模 | 構造:鉄骨鉄筋コンクリート造 敷地面積:9,810m2、建築面積:未確認、延床面積:5,519m2 階数:地下1階 地上4階 |
交通 | 鉄道:鹿児島本線 八幡駅下車 徒歩約10分 |
備考 | 1960(昭和35)年 第1回BCS賞受賞 2016(平成28)年3月末に閉館し、現在は閉鎖状態。活用策は検討中。 |
上から福岡ひびき信用金庫本店、八幡図書館、八幡市民会館
補註
- 村野藤吾(むらのとうご)、1891〜1984(明治24〜昭和59)年。現在の佐賀県唐津市に生まれ、幼少期は唐津で、青少年時代は福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)で暮らす。小倉工業高校を卒業して八幡製鉄所に勤め、兵役を経て早稲田大学の電気学科に入学し、途中で建築学科に転科する。卒業後、大阪市の渡辺節建築事務所に就職して研鑽を積み、1929(昭和4)年に大阪で独立。以後、晩年まで活躍し、関西を中心に各地で多数の建築を手掛けた。
- 渡辺翁記念会館は山口県宇部市の市民会館。宇部興産の創業者である渡辺祐策を記念して同グループが1937(昭和12)年に建設した。村野藤吾の戦前期の最高傑作といってよい。国指定重要文化財。筆者の個人サイトで紹介している。
- 八幡駅周辺の防火建築帯に平和ビルと西本町団地という集合住宅がある。どちらも八幡市住宅協会(現在の北九州市住宅供給公社)が昭和20年代後半に建設した。平和ビルは4棟まで建てられ、その第1棟の設計に村野も関わっていたが、すべて解体された。西本町団地は現存。どちらも筆者の個人サイトで紹介している(平和ビル第1棟、西本町団地)。
- 東京都・目黒区役所で結婚式! らせん階段に屋上庭園…会場を見に行ってきた マイナビニュース
- 小倉市民会館は旧小倉市が1959(昭和34)年に建設した。優れたデザインにも関わらず、村野はこの建築にほとんど言及せず、作品集でも扱いが低い。北九州市成立後は同市のメインホールという位置付けだったが、2004(平成16)年に解体され、跡地は公園になった。筆者の個人サイトで紹介している。なお、メインホールの役割はリバーウォーク北九州(北九州市小倉北区、ジョン ジャーディ)に併設されたホールが引き継いだ。
リンク
- 八幡市民会館 公式サイト
- 日本建設業連合会 > BCS賞 > 第1回受賞作品(1960年) > 八幡市民会館
- Architecture Everyday!! > AE376 八幡市民会館/村野藤吾
- GMT foto @KitaQ > 村野藤吾建築保存
- 日本建築学会 > 最新の要望書・提言・報告 > 要望書 > 2014年5月29日 北九州市立八幡図書館」と「北九州市立八幡市民会館」の保存活用に関する要望書(PDF)
- 八幡市民会館、村野藤吾 ウィキペディア
- 近代建築の巨匠 村野藤吾の「八幡市民会館」リノベーションアイデア大募集(終了) 八幡市民会館リボーン委員会
参考文献
- 『村野藤吾建築案内』村野藤吾研究会編、TOTO出版
- 『北九州地域における戦前の建築と戦後復興の建築活動に関する研究』尾道健二(九州共立大学工学部建築学科 教授)・内田千景(同 大学院生)・開田一博(北九州産業技術保存継承センター研究員)、北九州産業技術保存継承センター・九州共立大学、非売品
公開日:2014年2月2日、最終更新日:2014年4月1日 市民会館機能の廃止について追記、撮影時期:2012年1月
カメラ:Nikon D50、Canon PowerShot S90(Photoshopで修正)