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戦没学徒記念若人の広場 ( 4/5 )
Memorial of War Dead Students, Youth Plaza
兵庫県南あわじ市、丹下健三、1967(昭和42)年
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ペン先を意匠化

展示棟の内外部の見学を終えた次は尾根沿いの通路を歩いて慰霊塔へ。天を突くかのような三角形のシャープな形状は、学徒の慰霊碑にふさわしくペン先がモチーフなのだそうです。前述した展示棟の屋根と壁の隙間が塹壕・トーチカの特徴を空間的に昇華していたように、慰霊塔も形態の模倣を超越したレベルに達しています。
 

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【43】

見事な造形美

正面からは二等辺三角形に見える慰霊塔は、実際には底部が後方に膨らんだラッパやタケノコを思わせる形状をしています(専門的にはHPシェルという)。見る角度によって形が様々に変化するところが面白い。特に底部の中心から見上げた構図は目地の効果もあって空に吸い込まれそうなほどで、純粋に幾何学的な形状で宗教的な要素は皆無にも関わらず、神々しさや畏敬の念が湧き上がってきます。
 
石積みのボリュームとの対面から始まって、重厚な内部空間で戦争の歴史を学ぶ → 開放的な外部空間で平和な世の中を実感する → 天に伸びる慰霊塔で、あの世の戦没者に祈りを捧げるという巧みな構成は見事としか言いようがありません。

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早くに消えた灯(ともしび)

また、慰霊塔の前には献花台の他に「平和の灯(ともしび)」を灯すための台(上の写真)がありますが、この灯は記念館が閉鎖となるよりもずっと前にガス代を節約するために消えていたらしい。
 

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先の大戦に対する距離感

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このように身震いするほどの感動を与えてくれる戦没学徒記念若人の広場は、現代建築の名作中の名作であると断言できます。丹下氏の建築としては代々木屋内競技場や 東京カテドラルに匹敵する傑作と評価されて然るべきものであり、施設の目的からすれば広島市の平和資料館と並び称されるはずのものが廃墟と化している状況は残念でなりません。入場者が少なかった直接の理由が交通の便の悪さだったとしても、戦争犠牲者を弔う施設が閉鎖に追い込まれたことは、先の大戦に対する我が国の距離感を物語っているといえないでしょうか。
建物名

戦没学徒記念若人の広場

Memorial of War Dead Students, Youth Plaza

設計者

丹下健三 / 丹下健三・都市・建築設計研究所

TANGE Kenzo / KENZO TANGE ASSOCIATES

所在地

兵庫県南あわじ市阿万塩屋町

用途

記念館・慰霊碑

竣工

1967(昭和42)年

構造

構造:鉄筋コンクリート造

交通

車:淡路島南ICを下りる > 県道25号線を南下

備考

改修工事が完了し、2015(平成27)年3月に「若人の広場公園」としてリニューアルオープンした。この改修も丹下事務所が担当。


左下が「戦没学徒記念若人の広場」


補註

  1. 昔の作品集では1975年刊行の『建築と都市』(世界文化社)にのみ掲載された。以後は2002年刊行の『丹下健三』(丹下健三・藤森照信、新建築社)に載るまで若人の広場は紹介されなかったため、建築関係者の間でもその存在はほとんど知られていなかった。

参考文献

  1. 『住宅建築』2009年12月号 特別記事:丹下健三 建築に込めた平和への願い 戦没学徒記念若人の広場
  2. 『丹下健三』丹下健三・藤森照信 著、新建築社
  3. 『新建築』2015年6月号、新建築社

リンク

  1. 南あわじ市
  2. 大林組実績の紹介戦没学徒記念若人之広場

公開日:2010年5月9日、最終更新日:2015年8月9日 リニューアルオープンについて追記、撮影時期:2006年1月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)

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