《 はじめに 》
モノレールの廃線跡は順次解体が進んでいます。本稿で紹介した構造物が現存しているとは限りません。予めご了承ください。
【12】
姫路モノレールの経緯
かつて、姫路市内をモノレールが走っていた時代がありました。1966(昭和41)年、同市の手柄山(てがらやま)で開催された姫路大博覧会の交通手段を兼ねて開業した姫路市営モノレールは、当時の最先端 註1 を行く交通機関でした。開業当初は姫路駅~手柄山駅間の1.6kmと短い営業区間でしたが、いずれは路線を延伸し、最終的には瀬戸内海と鳥取県とを結ぶ壮大な計画だったそうです。しかし、路線の短さや高額な運賃が原因で博覧会終了後は利用者が激減し、開業からわずか8年後の1974(昭和49)年に休止、その後も再開されず1979(昭和54)年に正式に廃止となります。
こうして街にはモノレールの廃線跡という珍しい遺構が残されました。高架軌道は、幹線道路上など崩落すると重大な支障が生じる部分は撤去されていますが、それ以外ではそのまま放置されている部分も少なくありません。本稿では、姫路駅から手柄山駅に向かって廃線跡を辿りながら、遺構そのものとそれを含んだユニークな景観を紹介いたします。
【13】
モノレールの廃線跡とまちなみ
JR姫路駅の中央口を出て西に向かうと、早速コンクリートの構造物が見えてきます。モノレール姫路駅の駅舎は現存せず、橋脚や軌道だけが取り残された状態はなかなか不思議な光景です。この辺は高架下に民間の建物があり、撤去するには立ち退きが必要なので、このままにするしかないのでしょう。
【14】
モノレール駅の上に集合住宅
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高尾ビルの現状と特徴
なお、公団住宅といってもバルコニーがなく、まるでオフィスビルのような外観を意外に思う人がいるかもしれません。これは公団の市街地住宅というタイプに多いデザインで、洗濯物などの生活感を見せないよう屋外型のバルコニーを設けず、代わりに屋内型のサンルームを設置する場合があるのです。