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太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔 ( 1/2 )
The Cenotaph for the city air-raid victims of the Pacific War
兵庫県姫路市、高谷隆太郎、1956(昭和31)年
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市民公園に建つ慰霊塔

姫路市の手柄山中央公園は1966(昭和41)年に開催された姫路大博覧会のメイン会場だったところです。中世の城郭風パビリオンなど当時の華やかな雰囲気が今も感じられますが、その一画に周囲の喧噪から離れて建っている一本の塔があります。これは、太平洋戦争の空襲などで亡くなった一般の人々を追悼するために建立された「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」という慰霊碑です。

建立の経緯

戦争の痕跡がまだ色濃く残る1952(昭和27)年、戦災を受けた全国各都市の首長らで構成する全国戦災都市連盟は慰霊塔の建立を決議します。手柄山が敷地に選ばれたのは、当時の姫路市長が同連盟の会長を務めていて、慰霊塔の実現に尽力したことが理由のようです。慰霊碑の設計はコンペで選ばれた土浦建築事務所の高谷隆太郎氏が行い、1956(昭和31)年に竣工しました。

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突き立てた刀をデザイン

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慰霊塔は塔本体・基壇・側柱・前庭で構成され、宗教性を脱しつつ慰霊に相応しい厳粛な空間が広がっています。塔のデザインは地中に突き立てた刀を模したもので、戦争を行わないことを表現。また、基壇前面の日本地図には戦災を受けた113都市の位置が、両サイドに並ぶ側柱には各都市が戦災を受けた日付や死者数などが刻まれています。
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設計者について

設計者である高谷隆太郎氏の経歴を簡単に紹介しておくと、1928(昭和3)年に早稲田大学建築科を卒業して大陸に渡り、高倉土木(現 大成建設)の大連支社や満州鉄道に務めた後、土浦亀城建築事務所の満州事務所に入所。戦後は東京の土浦事務所に引き続き勤務します。土浦亀城氏 註1 といえば戦前におけるモダニズム建築の先駆者として知られ、その事務所が戦前はともかく戦後に慰霊塔を手掛けたのは意外な気がしますが、やはり建築家として純粋にカタチで勝負する仕事もやってみたかったのでしょうか。もちろん、戦争経験者として犠牲者を追悼する気持ちも強かったとは思いますが。

戦争と建築の関係

軍事施設でなくとも、慰霊碑や資料館などで建築が戦争と関係するケースは少なくありません。ときに歴史認識の解釈などを巡り複雑な問題に陥ることもありますが 註2 、そのような事情も含めて、建築と戦争の関わりを考える上でこの慰霊塔は手がかりのひとつとなるでしょう。

建物名

太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔(手柄山慰霊塔とも)

The Cenotaph for the city air-raid victims of the Pacific War

設計者

高谷隆太郎 / 土浦建築事務所

TAKAYA Ryutaro / TSUCHIURA Kameki Architect Office

所在地

兵庫県姫路市西延末(手柄山中央公園)

用途

慰霊碑

竣工

1956(昭和31)年

構造・規模

構造:鉄筋コンクリート造

高さ:26.75m

交通

鉄道:山陽電鉄 手柄駅下車

バス:手柄山中央公園下車

左から手柄山回転展望台、慰霊塔、姫路モノレールの旧駅舎


補註

  1. 土浦亀城(つちうら かめき)、1897〜1996(明治30〜平成8)年。東京帝国大学建築学科卒。フランク ロイド ライトに師事。初期のデザインはライト風だが、やがて白い箱形のモダニズム建築に移行する。代表作は土浦亀城自邸や強羅ホテルなど。
  2. 例えば、丹下健三は広島平和公園の慰霊碑のデザインを日系人のイサム ノグチに依頼したが、周囲の反対でノグチは降ろされた。戦前の帝冠様式から現代の靖国神社に代わる追悼施設の問題まで、建築が戦争にどう関わるかはいつの時代も重要なテーマである。
  3. 建築マップで紹介している戦争慰霊碑:戦没学徒記念若人の広場(丹下健三、兵庫県南あわじ市)、平和の門(ジャン ミシェル ヴィルモット他、広島市)、ユーデンプラッツのホロコースト記念碑(レイチェル ホワイトリード、オーストリア ウィーン)

リンク

  1. 姫路市姫路観光ガイド観光マップとみどころ手柄山中央公園手柄山中央公園の散策案内(緑の相談所の周辺のみどころ)
  2. 一般財団法人 太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会
  3. 太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔 ウィキペディア

公開日:2010年4月12日、最終更新日:2013年8月3日 文章と写真を修整、撮影時期:2007年9月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)

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