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前浜掩体壕群 ( 1/3 )
Maehama Bunkers
高知県南国市、1943(昭和18)年
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【01】7号掩体壕、遠方の白い塔は高知空港の管制塔
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【02】4号掩体壕

掩体壕とは

掩体壕(えんたいごう)とは、敵機の攻撃から航空機を守るために堅牢に造られた格納庫のことです。戦闘機のシェルターと理解すればいいでしょう。掩体壕には屋根のある有蓋(ゆうがい)タイプと屋根のない無蓋(むがい)タイプがあり、前者はヴォールト(カマボコ)型やドーム型をした鉄筋コンクリート造、後者はコの字型に土を盛って造られました。
 
太平洋戦争中に各地の軍の飛行場に建設された掩体壕の多くは戦後に解体されましたが、現在もある程度の数が残っています。その保存状態は、自治体の文化財として保存整備されているものから民家の倉庫などになっているものまで様々です。なお、戦争遺跡のイメージが強い掩体壕ですが、この種の格納庫は現在も自衛隊や各国の軍の飛行場に存在します。

好条件で見学可能な掩体壕群

前浜掩体壕群は高知県南国市の高知空港の近くにある掩体壕の一群です。1944(昭和19)年、当地に開設された高知海軍航空隊の飛行場の格納庫として有蓋型9基・無蓋型32基、合計41基が建設されました。戦後、同飛行場は民間の高知空港になって掩体壕一帯は農地に戻されますが、7基の有蓋掩体壕が現存しています。保存状態は比較的良好でその全てが至近距離から見学可能です。左の地図は7基の掩体壕の位置をプロットしたもの。

訓練部隊から特攻部隊へ

もともと高知海軍航空隊は偵察搭乗員を養成する部隊であり、白菊という機体で訓練を行っていました。しかし大戦末期には訓練機をも特攻に使用。同航空隊からも神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊として26機が鹿児島県の鹿屋基地を経て沖縄へ出撃し、52名が戦死しました。

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1号掩体壕
地元の南国市は7基の掩体壕を「前浜掩体群」として市の史跡に指定し、1〜7号の番号を付けています。以下、その番号順に紹介していきます。1号には米軍機による機銃掃射の弾痕が60個ほど残っているとのこと。現地ではよく見えにくかったものの、写真で見返すと確かに多数の弾痕が確認できます。掩体壕は上空の敵機に発見されにくいよう躯体を土で覆って自然の地形に擬装します。他の地域に残る掩体壕は現在も土に覆われているものが多いのですが、前浜掩体群は7基ともほとんど覆土が残っていません。自然になくなったのか人為的に除いたのかは不明です。


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2号掩体壕
2号は前浜公民館のすぐ近くにあります。公民館前の広場には掩体壕群の案内板が立っているので、見学の際はここをスタート地点にするといいでしょう。7基の詳しい位置や番号はこの案内板に載っています。


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3号掩体壕
3号は県道31号線沿いにあって、7基中、最も人目に付きやすい掩体壕です。私は後で気が付いたのですが、通過する自動車と組み合わせて撮影してみるのも面白い。

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