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沢田マンション ( 1/4 )
Sawada Mansion
高知市、沢田嘉農 + 沢田裕江、1985(昭和60)年(3期工事 完了
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【01】
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【02】

前例のない手作りマンション

JR高知駅から車で高知インター方向へ10分程度、高知市の郊外にその集合住宅は建っています。白い外壁色や水平に伸びるバルコニーには少々ぎこちなくもモダニズムの雰囲気を感じますが、地元ではデザインではなく別の意味でたいへん有名な建物です。
 
というのも、この集合住宅=沢田マンションは、建築主の沢田嘉農(かのう)さん・裕江(ひろえ)さん夫妻がほとんど二人だけで設計から基礎工事・配筋・コンクリートの打設・設備工事といった施工に至るすべてをやり遂げたのです。
 
昔の家は地域の共同体で建設していました。世界には今もそのような伝統が残る地域がありますし、現代建築の分野でもセルフビルド住宅はあります。しかし、鉄骨鉄筋コンクリート造の集合住宅を個人で建設した例は、世界広しといえども沢田マンションだけではないでしょうか。にわかには信じがたいのですが本当の話です。

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【03】

沢田マンション着工までの経緯

まずは沢田夫妻がこのマンションを自力で建設するに到った経緯を簡単に説明しておきます。高知県で1927(昭和2)年に生まれた沢田嘉農さんは、子供時代に雑誌でアパートというものを知って強い関心を持ち、早くもアパートの建設・経営を将来の目標に定めます。そして二十代の頃、製材業を経て、誰かに弟子入りして修行することなく独立して大工の仕事を始めました。
 
戸建て住宅の建設が大手ハウスメーカーで占められるのはかなり後のことであって、戦後の一定期間、住宅は地場の工務店や大工が施主から直接依頼を受けて建設するのが普通でした。建設ラッシュという背景もあり、いきなり独立開業しても十分やっていけたわけです。最初は一人で、32歳のときに裕江さんと結婚してからは二人で住宅やアパートを約300件も建設・販売。こうして資金を貯めて、1971(昭和46)年、いよいよ子供の頃からの夢である自分のアパート建設に取りかかります。このとき嘉農さんは44歳。

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【04】

着工から現在まで

冒頭で述べたように、建設に際しては設計事務所や施工会社には頼らず、夫婦で自ら重機を操って地盤を掘削し、配筋してコンクリートを打設するなどして建設しました。驚くべきことに、これ程の規模にも関わらず図面は存在せず、全ては嘉農さんが思い描くイメージが頼りです。
 
沢田マンションは1970年代に3期に分けて施工され、1979年頃におおむね現在の姿が完成。各工期ごとに入居者を受け入れていきます。家賃がリーズナブルなため当初から人気は高かったようです。さらに、沢田夫妻は母子家庭といった生活困窮者を積極的に入居させたり、近年は、セルフビルド建築の魅力に惹かれた入居者も現れ、入居者の構成は一般的なマンションよりもかなり多様です。
 
嘉農さんは2008(平成20)年に逝去。現在、沢田マンションは裕江さんや娘夫婦らによって維持・管理がされています。

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【05】

セルフビルドのこだわり

沢田マンションは、沢田嘉農という強烈な個性の産物であることは間違いありません。これ程の行動力があれば、普通は建築設計者や建設会社・マンションデベロッパーの経営者を目指すものですが、あくまでもセルフビルドにこだわった点が極めてユニークです。

セルフビルド建築の事例

ログハウスや日曜大工もセルフビルドの一種ですが、創造性の発露としてのセルフビルド建築を挙げると、世界的にはフランスの「シュバルの理想宮」やアメリカの「ワッツタワー」が有名です。だたし、この二つは人が住まないモニュメントであり建築とは言い難い。日本は、素人が建設したものでは「大菩薩峠」(徳島県)という喫茶店があり、建築界では石山修武氏の自邸「世田谷村」(東京都)が知られています。

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【06】

共同体性

ともすれば沢田マンションはセルフビルドとしては異例の大きさに関心が集まりがちですが、筆者はそこに家族以外の他者も住まわせたこと、そして親密な近所づきあいを超えて一種の共同体を形成した点こそ注目すべきだと思います。
 
具体的にはまずサラリーマン・母子家庭・建築の魅力に惹かれた若者など様々な社会階層が集まっていること。居室のプライバシーが低いが故に濃密な人間関係が生じています。かつては嘉農さんが所有するバスで沢田家・入居者一同が旅行に出かけていた程で、そのバスは今もマンションの駐車場に残っています。また、生活困窮者の受け入れによって社会福祉的な役割を担っている事実も見落としてはなりません。

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セルフビルドの系譜における位置付け

共同体/共同作業によるセルフビルド建築といえば、アーコサンティ 註1 や生闘学舎 註2 といった事例が挙げられます。入居者が建設作業に従事していない点で沢田マンションはこれらと異なりますが、沢田マンションでも躯体はともかく室内のリフォーム工事を入居者自らが行っているケースはあります。よって、シュバルの理想宮に代表される純粋な個人作品と、アーコサンティのように共同体が集団生活しながら建設するものとの中間に、沢田マンションは位置付けられるでしょう。

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