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手取教会 ( 1/2 )
Tetori Church
熊本市、鉄川与助 、1928(昭和3 )年
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【01】
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【02】

最も行きやすい鉄川与助の教会

鉄川与助といえば、長崎県を中心に明治から昭和時代にかけていくつもの教会を設計した建築家として知られています。彼が手掛けた教会は、かつて隠れキリシタンが潜伏していたり、明治以降に信者が開墾した土地、具体的には五島や平戸といった僻地に多く存在しているため、訪問するのはなかなかたいへんです。
 
しかし、この手取教会は熊本市の中心部、デパートやシティホテルが並ぶ市街地に建っており、現存する鉄川作品の中では最も行きやすい教会 註1 といえるでしょう。

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【03】

最初の鉄筋コンクリート造

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木造・レンガ造・石造と様々な構造で教会を建設した鉄川は、鉄筋コンクリート(RC)造でも3棟 註2 を建てており、手取教会は彼にとって初めてのRC造教会になります(RC造の経験は既にあった。補足参照)。
 
手取教会の建物が昭和初期から今まで残っているのは、もちろん教会や信者の方々が守ってきたからですが、RC造という要因も大きいかと思います。
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【04】

建築的な特徴

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教会の様式はおおむねロマネスク風。ただし、ピナクル(小尖塔)がある点はゴシック風です。ファサード中央に四角形の塔屋を配置し、八角形のドーム屋根を載せるというデザインは、1918(大正7)年に竣工したレンガ造の 田平教会(長崎県)などでも見られる構成で、これが鉄川の基本的なフォーマットなのでしょう。
 
この後に建設されたRC造の 紐差教会(長崎県)・ 大江教会(熊本県)が白一色の「白亜の聖堂」であるのに対して、手取教会のファサードはグレーに塗装されてやや地味な印象ですが、この色が竣工時のオリジナルかどうかは分かりません。
 
また、紐差・大江教会には見られない特徴に壁面の横目地がありますが、これは石造風の表現と考えられています。この後の紐差・大江教会では装飾が次第に簡素化する傾向が見られます。
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【05】

内部空間

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内部は白を基調とした静謐な空間です(昔のデジカメ写真につき画質が粗いのはご容赦ください)。平面は三廊式。
 
これまでの鉄川の教会では、外壁はレンガ造でも内部の柱や屋根の小屋組は木造で、天井はリブ ヴォールトがよく見られました。それが手取教会では内部もすべてRC造で、天井は折上型を採用しています(以前の木造教会でも折上天井の例はある)。
名称

手取教会(手取天主堂とも)

Tetori Church

設計者

鉄川与助

TETSUKAWA Yosuke

所在地

熊本県熊本市上通町3-34

用途

教会

竣工

1928(昭和3)年

構造

構造:鉄筋コンクリート造

交通

鉄道:路面電車 市電2号線 水道町駅下車

備考

ここは信仰の場です。見学の際は教会や信者の方々の迷惑とならないよう十分な配慮をお願いします。

マーカー上から坪井交番、県立美術館分館、熊本北警察署、手取教会

補註

  1. 戦後に再建された長崎市の浦上教会など、戦後の鉄川工務店の仕事はいちおう区別して考えている。鉄川与助について詳しくはこちらの記事を参照のこと。
  2. 完全なRC造は手取・紐差・大江教会の3棟。他に木造とRC造の混構造が崎津教会の1棟。
  3. 鉄川が教会以外に設計した鉄筋コンクリート造建築は、筆者が確認した範囲では以下の通り。現存は聖心幼稚園だけと思われる。常清修道院(長崎市、1925(大正14)年)、長崎神学校雨天運動場(長崎市、1925(大正14)年)、純真女学園聖心幼稚園(長崎県佐世保市、1930(昭和5)年)、魚目小学校(長崎県南松浦郡新上五島町、1931(昭和6)年)

参考文献

  1. 『九州・沖縄を歩こう! 建築グルメマップ2[九州・沖縄編]』166頁、エクスナレッジ

リンク

  1. 長崎の教会福岡教区手取教会
  2. 長崎県東京事務所大いなる遺産ながさきの教会手取教会
  3. 旅する長崎学教会巡礼のマナー
  4. 鉄川与助 ウィキペディア

公開日:2002年12月30日、最終更新日:2011年7月16日、撮影時期:2002年11月
カメラ:Nikon COOLPIX775(Photoshopで修正)

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