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日本二十六聖人記念館 ( 1/2 )
Twenty Six Martyrs Museum
長崎市、今井兼次、 1962(昭和37)年
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殉教地に建てられた教会と記念館

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豊臣秀吉のキリシタン弾圧で26人の信者が処刑された長崎市の西坂には、戦後、この26聖人を記念する教会と記念館が今井兼次の設計で建てられました。殉教の経緯や教会建築については 別の記事を読んでいただくとして、本稿では記念館の方を紹介いたします 註1 
 
記念館はキリスト教関連の歴史資料や美術品を展示する施設で、記念碑の背後に建っています。26聖人のレリーフ 註2 を掲げた記念碑の存在感が大きいため、これを拝んだだけで満足して立ち去る人がいるかもしれませんが、実はその裏側には見応えのある空間が潜んでいるのです。
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【03】

設計者自身によるレリーフ

記念碑の裏(記念碑と記念館の間)は、設計者が「屋外展示室」と位置付ける前庭が広がっていてふたつの作品が置かれています。
 
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ひとつは、記念碑の裏側を覆うレリーフというか自然石を用いたモザイク画で、今井兼次による「長崎の道」という作品です。26人の魂を聖書に基づくブドウの実で表現したこの作品は、率直にいうと石積みが荒々しくて少々分かりにくいのですが、だからこそじっくり向き合って観賞しようという気持ちが起こります。
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【04】

異形の柱

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しかし、前庭に足を踏み入れてまず目に止まるのは何といってもこの柱。機能的には、記念碑と記念館の間に架かる細長い屋根を支えるものですが、異様なまでに力強い造形が施されています。資料によると屋根には「殉教の橋」、柱には「殉教の柱」という名前が付いていることから、これらも26聖人を讃える作品だと思われます。記念碑と記念館を統合する役割もあるのでしょう。
 
また、確証はありませんが、巨木を思わせる造形は、館内の展示室に置かれている木の根 註3 と対応しているのかもしれません。
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意外と和風な立面

記念館の立面は下から石積み風・斜め格子・竪格子の3層構成になっています。キリスト教関連施設ながら和風を感じさせるデザイン。かといって、純粋な和風ではなく、大胆にアレンジして表層的に処理している点は、2000年以降の建築デザインにも通じる手法です。

内部

内部を簡単に説明しておくと、2層吹き抜けの展示空間が中心を占め、これに内向的な小展示室が付随する構成になっています。展示施設としてはオーソドックスな平面・断面計画だといえますが、2階奥の「栄光の間」という特別展示室が求心性の強い空間であることや、各開口部に嵌め込まれたステンドグラスが、キリスト教を認識させる装置として機能しています。

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【06】

壁画

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また、建物の両方の妻側(側面の壁)にはモザイクタイルで見事な壁画が描かれています。教会の双塔の壁画は有名ですが、こちらは見落としている人が多いのではないでしょうか。
 
特に西立面の壁画(右の写真)は敷地ギリギリにあるので気付きにくい。建設当時、遠くから眺めたときに壁画と双塔がまちなみに聳える光景を狙ったと思われますが、周囲にビルやマンションが密集した結果、双塔はまだしも西の壁画はビューポイントが無くなってしまったのです 註4 。もっとも、それはそれで、この建築の神秘性が増したといえるのかもしれません。(文中敬称略)
名称

日本二十六聖人記念館

Twenty Six Martyrs Museum

設計者

今井兼次

IMAI Kenji

所在地

長崎市西坂町7-8

用途

記念館

竣工

1962(昭和37)年

構造・規模

構造:鉄筋コンクリート造

階数:地上3階、建築面積:514m2、延床面積:1,160m2

交通

鉄道:JR長崎駅下車、徒歩約10分。

備考

DOCOMOMO JAPAN No.073(教会と併せて)

1962年度日本建築学会賞(教会と併せて)

マーカー左から記念館、記念聖堂

補註

  1. 本来は教会(記念聖堂)と記念館・記念碑の3点でワンセットの建築であり、専門書や観光ガイドでは全部まとめて「二十六聖人記念館」と紹介される場合が多い。しかし、1本の記事で説明すると長くなることや、機能的には別の建築物であることから、当サイトでは記事を分けている。
  2. レリーフの作者は彫刻家の舟越保武。
  3. 今井兼次は、たまたま入手した巨木の根を殉教者の象徴であると感じ、館内に展示してほしいと要望する。歴史的資料とは何の関係もないため教会側は難色を示すが、彼が寄進する形で展示室に置かれることになった。このプロジェクトに対する今井の熱意を示すエピソードである。つまり彼のポジションは、現代の職業的設計者というより昔の教会建設で献身的に奉仕した建築家像に近いのではないか。実際、彼はカトリック信者であり、その信仰心の内面に踏み込まないとこの建築の意図を理解するのは難しいだろう。
  4. 私が見つけていないだけで、どこかにビューポイントがあるかもしれない。もちろん、近隣のビルの上階や屋上からは難なく見えるはずで、もしコネがあるなら撮影して写真を公表していただきたい。あとは、遠方から望遠レンズで狙うしかない。

リンク

  1. 日本二十六聖人記念館 > 記念聖堂 公式サイト
  2. 旅する長崎学 > 第40回 日本26聖人殉教の記念碑と聖フィリッポ教会を訪ねて
  3. null 長崎都市・景観研究室 > 二十六聖人像のウラが凄いことになってました
  4. ここは、長崎ん町 > 日本二十六聖人殉教地・西坂の丘
  5. 長崎遠めがね2 > 西坂周辺
  6. おらしょ こころ旅 > 日本二十六聖人記念館
  7. 日本二十六聖人記念館今井兼次 ウィキペディア

参考文献

  1. 『昭和モダン建築巡礼 西日本編』磯達雄・宮沢洋、日経BP社
  2. 『再読/日本のモダンアーキテクチャー』彰国社
  3. 『現代日本建築家全集5』三一書房
  4. 『建築MAP九州/沖縄』132頁、TOTO出版
  5. 『日本二十六聖人殉教記念館・資料館の空間構成について』綿屋康夫・後藤隆太郎・丹羽和彦(佐賀大学)、日本建築学会九州支部研究報告第45号 2006年3月、CiNiiの当該ページ

公開日:2012年7月7日、最終更新日:2012年7月7日、撮影時期:2005年8月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)

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