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軍艦島クルーズ ( 1/6 )
Gunkanjima Cruise
長崎市
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【11】
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【12】左:中ノ島、中央:軍艦島、右の防波堤:高島

軍艦島とは

産業遺産や廃墟に関心がない方でも軍艦島の名前は耳にしたことがあるでしょう。長崎港から船で30分程の沖合に浮かぶこの島は正式名称を端島(はしま)といい、かつては炭鉱の島として繁栄を極めました。
 
その歴史を簡単に説明すると、江戸後期から明治初期にかけてごく小規模な採掘は行われていましたが、1890(明治23)年に三菱の所有となって以降、近代的な炭鉱開発が始まります。大正時代に東京よりも早く7〜9階建ての鉄筋コンクリート造集合住宅が何棟も建設されるなど、島内には高層建築物が林立。九州の小さな島が超高密度の海上都市に発展していきました。
 
しかし戦後、石炭から石油へのエネルギー転換政策に伴い各地で炭鉱の閉山が相次ぐ中、端島炭鉱も1974(昭和49)年に閉山。炭鉱以外に産業のない島でその後の生活は不可能であり、全員が島を離れて無人島になりました。

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【13】

長崎市の所有に移り、上陸ツアーが実現

軍艦島は三菱の社有地のまま放置されていましたが、2001(平成13)年に高島町へ無償譲渡され、その後、同町は長崎市と合併しました。長崎市は将来的な軍艦島の世界遺産認定を視野に入れつつ観光整備を進め、2009(平成21)年に限定的な上陸ツアーを解禁しました。

軍艦島クルーズは歴史の旅

さて、筆者は上陸ツアーに2度ほど参加しましたが、船で軍艦島に向かう間、他の参加者が船上からの光景にあまり関心を持たなかったことを残念に思いました。長崎港の沿岸部に並ぶ近現代建築や造船所、船舶、橋梁、そして軍艦島以外の炭鉱の島々… これらも長崎の歴史の証人なのです。つまり、長崎港と軍艦島を往復する短い船旅に、長崎の、いや日本の近現代史が凝縮されているといっても過言ではありません。
 
そこで、本稿は船で軍艦島に向かう途中での主な見所について説明いたします。端島そのものについては別の記事をご参照ください。

見所の概要

軍艦島クルーズにおける見所は、(1)著名な建築家による1990年代以降の現代建築、(2)明治時代の教会や銀行といった近代西洋建築、(3)造船所や橋梁といった土木構造物、(4)近代化初期の遺構である産業遺産、(5)かつて石炭を採掘していた炭鉱の島々、(6)造船所や港内の船舶、に大別できます。以下、2~6ページにわたってそれらを紹介していきます。おおむね長崎港を出港してから見える順番に掲載していますが、船舶は最後の6ページにまとめています。
 
左の地図は本稿掲載の各物件をGoogleマップにプロットしたもの(ただし船舶を除く)。マーカーの色はページ別に分けていて、右上から青=2ページ、赤=3ページ、黄緑=4ページ、水色=5ページを示しています。青・赤マーカーの密集部分が長崎港、一番左下の水色マーカーが軍艦島です。
 
なお、軍艦島クルーズは複数の海運会社が実施していますが、特定企業の宣伝は避けたいので、会社名や船名、連絡先は記載しません。参加をご検討の方は、「軍艦島上陸ツアー」「軍艦島クルーズ」等で検索するなどして各自でお調べください。

2ページ2ページ

長崎港の近現代建築
マーカー:青
3ページ3ページ

造船所と産業遺産
マーカー:赤
4ページ4ページ

教会と炭鉱の島々
マーカー:黄緑
5ページ5ページ

炭鉱の島々
マーカー:水色
6ページ6ページ

長崎港の船舶
マーカー:無し
名称

軍艦島クルーズ

Gunkanjima Cruise

概要

長崎港から船で軍艦島(端島)に向かい、上陸して一部エリアを見学後、長崎港に戻る。

実施日

クルーズ船の出港や上陸の判断は天候に左右される。悪天候の時は中止。上陸可能な日は年間7割程度。

備考

料金や出航場所・時刻等、詳細は各社のウェブサイトを参照。「軍艦島クルーズ」等で検索。

各社のサイトに記載された注意事項を熟読のこと。参加には予約と誓約書へのサインが必要。

船はかなり揺れるので、カメラを構える際は転倒や転落しないよう十分注意する。撮影は望遠レンズの使用が望ましい。

中央が軍艦島(端島)

リンク

  1. NHK映像マップ みちしる 新日本風土記アーカイブス大正時代の長崎港 大正時代の貿易港
  2. 日経トレンディネット長崎の炭鉱の町がクリーンな「メガソーラー」の拠点として復活

公開日:2012年7月15日、最終更新日:2015年8月9日、撮影時期:2011年7・9月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)

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