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針尾送信所無線塔 ( 1/2 )
Wireless Towers of Hario Transmitting Station
長崎県佐世保市、吉田直 、1922 (大正11)年
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【02】

風光明媚な景観に屹立する3本の塔

長崎県佐世保市のテーマパーク ハウステンボスの南に針尾瀬戸という狭い海峡があります。湾が入り組んだ地形が広がり、西海橋が架かる付近では渦を見ることもできる観光名所です。この自然豊かな景観を眺めていると、唐突に現れる3本の塔の存在を不思議に思うことでしょう。一見すると煙突のようですが、こんな大煙突を必要とする工場などは見当たりません。風光明媚な景観と巨大なコンクリート塔との組み合わせはシュールにすら感じます。

旧海軍の無線塔

その正体は大正時代に旧日本海軍が建設した無線塔です。高さ135〜137mの3本の塔を一辺約300mの正三角形に配置、頂部にワイヤーを張って大がかりなアンテナを構成し、長波による遠距離通信を行っていました。同時期に同様の通信施設が千葉と台湾にも設置されていますが、この2カ所は鉄骨造の塔で、針尾だけが鉄筋コンクリート造で建てられています。

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【03】新西海橋の歩行者通路からの景観

軍港として発展した佐世保

送信所の建設地に佐世保が選ばれたのはこの街が軍都だったからです。1886(明治19)年、勅命により海軍の佐世保鎮守府と軍港の設置が決定して以来、佐世保は急速に発展して当時最新の建築・土木構造物が次々と完成します。無線塔もそのひとつです。

戦後は海上保安庁に

戦後、針尾送信所は佐世保海上保安部の管理に移り、海上自衛隊と共同で引き続き通信施設に使われ続けますが、1997(平成9)年に新しい通信施設が完成して3本の無線塔は機能を失いました。本来なら役割を終えた施設は解体されるはずですが、多額の費用がかかるため直ちには解体されず、現在に至ります。

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【04】新西海橋の歩行者通路から撮影

ビューポイントその1、新西海橋

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新西海橋

ここで無線塔のビューポイントを紹介しておきましょう。無線塔の周辺は幹線道路を逸れると分かりにくいので、最もアクセスが容易なポイントとしておすすめするのは新西海橋の歩行者通路です。
 
針尾瀬戸には西海橋と新西海橋のふたつの橋が架かっていて、無線塔に近いのは新西海橋の方。新西海橋は有料道路(西海パールライン)の橋なので駐停車はできませんが、橋桁の下部が歩行者通路になっていて、西海橋のたもとの休憩所から行くことができます。
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ビューポイントその2、伊ノ浦郷の集落

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時間に余裕があれば、私が最もおすすめするポイントは対岸の伊ノ浦郷の集落です。入江に築かれた小さな漁港からは海に面した3本の塔がきれいに見えるだけでなく、漁船や網などと組み合わせたフォトジェニックな写真を撮ることができます。アクセスルートはGoogleマップ等で確認してください。なお、途中で細い急坂を通るので運転は要注意。
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意味や歴史を超越した存在

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写真06以降は塔に近付いて撮影したもの。森林やミカン園が広がる中に3本の塔が屹立する景観は何とも不思議な感じです。
 
この無線塔は戦争遺跡とはいえ、砲台や防空壕のように直接戦争を想起させるものとは異なり、煙突と大差ないシンプルな外観からは戦争の悲惨さといった印象は受けません。機能性を追求して生まれた抽象的で巨大な塔は、もはや意味や歴史を超越した存在と化しています。形は違いますが、18世紀のフランスの建築家 ブーレールドゥーらの幾何学的な建築に通じるものを感じます。
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【08】

施工水準の高さ

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施工水準の高さは驚異的で、筆者が見学した時点で築90年ほど経過しているものの、表面にクラックや剥離といった不具合はまったく見当たりません。
 
塔の規模は、高さ135〜137m、底部の直径12m、厚さ76cm。日本初のRC構造物は、京都の琵琶湖疎水第3トンネル付近に1903(明治36)年に竣工したアーチ橋といわれています。それからわずか20年程度でこれほどのものを完成させるに至ったのですから、近代化の過程でいかに急速に技術が進展したかがうかがえます。
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【09】

優秀な技術者達

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筆者は 軍艦島の炭鉱住宅(長崎県)や 志免炭鉱の竪坑櫓(福岡県)といった戦前のRC造建築物をいくつか見ていますが、この無線塔の施工水準の高さは飛び抜けています。その理由としては、軍事施設であることはもちろん、佐世保鎮守府に優秀な技術陣がいたことが挙げられます。
 
実際に設計・施工の指揮を執った吉田直をはじめ、無線塔には直接関わっていないものの、「近代水道の父」といわれる吉村長策や、我が国のRC構造の先駆者である 真島健三郎といった技術者がこの時期の佐世保鎮守府に在籍していました。
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【10】

保存に向けた動き

前述したように、通信施設の役目を終えた無線塔は何の機能も持たない純粋な塔として現存しています。市内に多数の近代化遺産が残る佐世保市は、無線塔の価値を認識して保存に向けて動き、2013(平成25)年に国の重要文化財に指定。そして同年6月9日以降、3基のうち1基が正式に一般公開されることになりました。地元住民でつくる保存会の方が施設管理やガイドを担うとのことです(長崎新聞2013/5/30付け記事による)。

名称

針尾送信所無線塔

Wireless Towers of Hario Transmitting Station

設計

吉田直 / 臨時海軍建築部

YOSHIDA Noburu / Temporary Naval Construction Division

所在地

長崎県佐世保市針尾中町

用途

通信設備(現在は未使用)

竣工

1922(大正11)年

構造

鉄筋コンクリート造

交通

車:西九州自動車道佐世保大塔ICで下りる > ハウステンボス方面へ

備考

国指定重要文化財

DOCOMOMO JAPAN No.146

一部の塔が見学可能。詳しくは佐世保市のこちらのページを参照。


補註

  1. 塔は空洞で内部には頂部に通じる梯子やワイヤーの張力を保つ装置が残っており、入口の格子越しに見ることができる。
  2. 無線塔を紹介する個人サイト・ブログでは、太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ」がここから発信されたという話がよく述べられている。確かにそれは事実だが、針尾送信所の電波を受信したのは中国大陸や南太平洋の部隊で、真珠湾攻撃を行った機動部隊が受信したのは千葉の送信所経由の電波である(リンク2)。
  3. 映画『空の大怪獣ラドン』では、ラドンが無線塔付近に飛来するシーンが描写されている。無線塔が登場する予告編をYouTubeで見ることができる。(リンク先の動画の1:31から)
  4. 近隣の西海橋新西海橋も見る価値がある。特に西海橋は戦後初の本格的な長大橋として土木史的に重要な橋。

参考文献

  1. 佐世保市 『広報させぼ』 > 平成21年度(2009年度)2月号 =『広報させぼ』2010年2月号 特集:針尾送信所、平成18年度(2006年度)2月号 =『広報させぼ』2007年2月号 特集:佐世保の近代化遺産
  2. 『九州遺産 近現代遺産編101』砂田光紀、弦書房

リンク

  1. 佐世保市 > 旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設の見学について「針尾送信所建設90周年記念シンポジウム ~ 歴史を見つめ続けたシンボルタワー ~」開催報告
  2. 長崎新聞 > ピース・サイト > 2005年ピース・サイト > 2005年 連載企画 > 戦争の記憶<2>針尾無線塔
  3. Web TOKAI 東海大学出版会 > 日本のモダニズム建築を訪ねる─知られざる名建築をもとめて─ 第1回 90年前からのメッセージ:針尾送信所(PDF)
  4. 九州ヘリテージ > マップ > No.09 針尾送信所無線塔
  5. 建築浴のおすすめ > 形而上建築としての針尾無線塔
  6. @ニフティ デイリーポータルZ > 異様にでかい塔を見に行く針尾の無線塔がやばすぎる
  7. あじこじ九州 > 長崎 > 針尾送信所
  8. 針尾送信所 ひとり保存会
  9. 針尾送信所佐世保鎮守府 ウィキペディア

公開日:2002年12月9日、最終更新日:2013年6月1日 一般公開の情報を追記、撮影時期:2002年10月・2005年8月・2006年12月
カメラ:Nikon D50、Nikon COOLPIX775(Photoshopで修正)

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