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小菅修船場 ( 1/2 )
Kosuge Ship Repair Dock
長崎市、不詳、1868(明治元)年
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日本で最初期の近代的ドック

幕末、日本でいち早く開港した港のひとつである長崎港には、諸外国の船はもちろん、薩摩など各藩が所有する洋式船も停泊するようになりますが、船体の修理や整備を行うためのドックがありませんでした。そこで、薩摩藩士の五代才助(ごだいさいすけ)、小松帯刀(こまつたてわき)と英国商人のトーマス グラバー 註1 が、長崎港に面した小菅という場所にドックを計画して1867(慶応3)年に着工。1868(明治元)年に竣工し、明治政府が翌年に買い取って対岸にある長崎製鉄所の管理としました。これが小菅修船場(こすげしゅうせんば)です。1887(明治20)年に官営だった長崎製鉄所が三菱に払い下げられると、大型ドックを擁する造船所に発展し、現在の三菱重工長崎造船所へと至ります。一方、付属施設である小菅修船場は、小型船の修理や製造に使われたものの、大正後期には休止状態に。戦時中に軍用小型船製造のため再開、戦後は漁船の修理などを行っていましたが、1953(昭和28)年に閉鎖されました。
 
小菅修船場は日本における最初期の近代的ドックであり、造船・建築・機械の各分野における重要な産業遺産です。その歴史的価値から、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつに選ばれています。

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スリップ ドック

小菅修船場が造られたのは長崎港東岸の入江。写真02〜03は軍艦島上陸ツアーの船上から撮影しました 註2。沿岸まで傾斜地が迫る長崎市の地形がよく分かる光景です。小菅修船場は一般的な掘割状のドライ ドック(乾ドック)ではなく、斜路に船体を引き揚げるスリップ ドックという方式が採用されています。ドライ ドックとする当初の計画から、コストが安くて技術的に比較的簡単なスリップ ドックに変更されたとのこと。

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日本に現存する最古のレンガ建築

さて、船を斜路に引き揚げるには、船体を載せる台車と引き揚げる機械が必要となります。斜路の中央奥の小屋(写真04・05)はその引き揚げ機を収めたもの。構造は壁がレンガ造、ただし一部木造(おそらく機械の搬出入のため)、小屋組も木造で屋根は瓦葺き、形は切妻。実はこの地味な小屋こそ、日本に現存する最古のレンガ建築という歴史的に貴重な遺構なのです(レンガ部分以外は過去に改修された可能性がある)。

レンガの製法が伝わった経緯

日本にレンガがもたらされた経緯を述べておくと、きっかけは長崎製鉄所(当初の名前は長崎鎔鉄所)の建設でした。幕府高官の永井尚志(ながい なおゆき)は、長崎に製鉄や船舶の修理・建造を行う工場の建設を計画し、鎖国時代も関係のあったオランダに技術支援を要請。それに応じて来日した一行の中にヘンドリック ハスデスという海軍の軍人がいました。彼が工場の建設資材となるレンガの生産方法を瓦職人に指導したことから、日本でもレンガの本格的な生産が始まりますが、当時は焼成温度を高くできず、通常よりも薄く扁平なサイズしか造れませんでした。これをコンニャクレンガといい(ハルデスレンガとも)、長崎製鉄所や小菅修船場をはじめ長崎地方の初期の洋風建築や土木構造物に用いられました 註3。1861(文久元)年に完成した長崎製鉄所の建築 註4 は残っていないので、小菅修船場が現存最古のレンガ建築ということになります。なお、幕末から明治初頭に横須賀や神戸でもレンガ生産に成功しますが、コンニャクレンガは長崎特有だったようです。

引き揚げ機

小屋の内部にはイギリス製の蒸気機関による引き揚げ機が設置されました。ボイラーは1904(明治37)年に更新されていますが、歯車は当初のままで残っています。これも国内に現存する最初期の機械です。

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ソロバンドックの由来

斜路には船体を載せる台車とレールが設置され、操業当初の木製台車の形がソロバンを連想させたことから、小菅修船場はソロバンドックと呼ばれていました。ただし、両側の台車は(レールも?)後年に付け替えられており、現状を見てソロバンを思い浮かべるのは少々難しいかもしれません。中央のレールについては、当時のままか付け替えられたかは分かりませんが、いずれにせよ原型を維持していると思われ、歯形付きのレール(ラックレール)を使っている点が特徴です。鉄道ではないものの、小菅修船場は日本で鉄製レールを利用した最初期の事例ではないでしょうか。また、護岸は熊本県天草地方で産出される天草石を積んだもので、同様の石積みは端島(軍艦島)などでも見られます。

造船業の原点

率直にいって小菅修船場自体は小規模な施設に過ぎないため、建築史や産業・技術史に関心がある人以外はいささか興味を持ちにくいかもしれません。しかし、ここが日本の造船業の原点なのです。長崎港の対岸に広がる三菱重工長崎造船所の巨大なドックやクレーンと比較すると、感慨深く見ることができるでしょう。

名称

小菅修船場(こすげしゅうせんば)

Kosuge Ship Repair Dock

設計者

不詳

住所

長崎県長崎市小菅町

用途

造船所(現在は使われていない)

竣工

1868(明治元)年

構造

レンガ造(組積造)、木造

交通

バス:長崎バス 小菅町バス停下車

車:市中心部から国道499号線を南下、駐車場アリ

備考

国指定史跡

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産。「建築マップ」では構成資産のいくつかを紹介している。詳しくはこちら

小屋内部は非公開。窓から覗き見ることはできる。


補註

  1. トーマス ブレーク グラバー Thomas Blake Glover(1838〜1911)。イギリス スコットランド出身の貿易商。長崎市のグラバー邸に居を構えた。造船や炭鉱など各種産業の機械を日本に輸入し、経営も手掛けた。
  2. たまたま筆者が乗船した際は小菅修船場の入江に船を寄せてくれた。あくまでも船長の厚意であり、毎回接近するとは限らない。
  3. 小菅修船場から少し南の長崎市小ヶ倉町に、海底ケーブルの通信設備を収めていた小ヶ倉陸揚庫という建築が残っている。1871(明治4)年頃の竣工で、こちらもコンニャクレンガを用いた最初期のレンガ建築だ。筆者の個人サイトで紹介している。また、人が内部に入れない小さな構造物ではあるが、長崎市の聖福寺にある惜字亭(せきじてい)というレンガ造の焼却炉が、小菅修船場より2年早い1866(慶応2)年に造られた(広義には焼却炉も建築物)。参考:長崎市の紹介ページ
  4. 明治初期に撮影された長崎製鉄所の写真によると木造が多いようだが、レンガ造の建築物や煙突も確認できる。参考:長崎大学付属図書館 幕末・明治期日本古写真超高精細画像 目録番号5314 長崎製鉄所

参考文献

  1. 『九州遺産 近現代建築編101』砂田光紀、弦書房
  2. 『近代化遺産ろまん紀行 西日本編』読売新聞文化部、中央公論新社

リンク

  1. 日本の近代遺産50選 > 45 小菅修船場跡
  2. 日本の近代化産業遺産群─九州・山口及び関連地域 トップページ効果音アリ > 小菅修船場跡
  3. 廃墟徒然草 -Sweet Melancholly- > 長崎さるく #54 小菅修船場跡1#55 小菅修船場跡2#59 蒟蒻煉瓦
  4. 日本埋立浚渫協会 > 港湾遺産 > No.12 長崎・小菅修船場跡
  5. 日本機械学会 > 機械遺産 > 小菅修船場跡の曳揚げ装置
  6. 九州ヘリテージ > 雑記帳 > 小菅修船場
  7. 長崎新聞 > めざせ!世界遺産 > 「世界遺産への旅」九州・山口の近代化産業遺産群 [4完]小菅修船場跡
  8. ナガジン! > 発見!長崎の歩き方「長崎の赤レンガ建造物」
  9. 想像と記憶(端島・軍艦島) > 管理人雑学 > 小菅修船場(ソロバンドック)
  10. データ・シート 明治の洋風建築 > 小菅修船場跡

公開日:2013年9月23日、最終更新日:2015年8月9日、撮影時期:2009年12月、2011年7・9月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)

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