【02】
隠れキリシタンの歴史を持つ旧外海町の集落
長崎市の黒崎地区は以前は外海(そとめ)町に属していましたが、いわゆる“平成の大合併”により2005(平成17)年に長崎市と合併してその一部となりました。旧外海町は、キリスト教が禁じられていた江戸時代に隠れキリシタンが潜伏していた地域で、信仰の根源を描いた遠藤周作氏の小説『沈黙』のモデルになった場所としても知られています。
キリスト教禁止令が解除されたのは1873(明治6)年のこと。そして1879(明治12)年、旧外海町の出津(しつ)地区にフランス人のド・ロ神父が赴任し、出津教会を建設(1882・明治15年)するなどこの地域での伝道に生涯を捧げます。ド・ロ神父は周辺の集落も担当していて、出津の北部にある大野地区にも教会を建設(1893・明治26年)しました。一方、同じく隠れキリシタンの集落だった黒崎地区は、禁教令解除前の1870(明治3)年に早くも仮聖堂が建てられたものの、本格的な教会建築が完成したのは大正時代になってからのことでした。
【03】ファサード(正面)
建築的特徴
黒崎教会は1897(明治30)年に信者自ら敷地の造成を始めますが、本体工事に取りかかった時点で資金難のため一時中断、1920(大正9)年にようやく竣工しました。切妻の平屋建てで、構造は外壁がレンガ造、内部の柱や小屋組などは木造、ロマネスク様式のシンプルな教会です。夕陽を浴びた姿が実に美しい。時間の制約から内部は未見ですが、平面は三廊式、木造でリブ ヴォールト天井を再現しています。
設計はド・ロ神父か
黒崎教会の設計はド・ロ神父だといわれていますが学術的な裏付けは取れていません。ただ、前述の通り近郊に出津・大野両教会を設計していることや、出津教会との類似性(高さを抑えて奥行きが深いというプロポーション、側面中央に出入口がある等)から、黒崎教会も彼が設計(または関与)した可能性は高いとみていいでしょう。
施工を手掛けたのは地元の大工棟梁である川原忠蔵。川原家はカトリックの一家で、忠蔵の父親や息子も他の教会建築を施工しています。ド・ロ神父は1914(大正3)年に亡くなっており、その後の実務を担った川原忠蔵の考えがデザインに反映していることも十分考えられます。
【04】側面の出入口
【05】側面
【06】内陣側の立面
リンク
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- あじこじ九州 > 長崎県 > カトリック黒崎教会
- 写真紀行 風に吹かれて > 天主堂巡礼 > 出津天主堂/黒崎天主堂
- マルク・マリー・ド・ロ ウィキペディア
参考文献等
- 『別冊太陽 日本の教会をたずねて』平凡社
- 現地に掲示されている年表
公開日:2013年5月24日、最終更新日:2013年5月25日、撮影時期:2005年8月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)