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馬込 教会 ( 1/2 )
Magome Church
長崎市、不詳、1931 (昭和6)年
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伊王島の概要

長崎市の沖合に浮かぶ伊王島(いおうじま)は、正確には伊王島と沖之島のふたつの島から成り立っていますが、その間隔が狭くて遠目にはひとつの島にしか見えないことや、行政上はどちらも伊王島町に属することから(2005・平成17年に長崎市と合併)、通常は両島まとめて伊王島と呼ばれています。
 
かつて長崎市沖の島々は有名な軍艦島(端島炭鉱)をはじめ各島とも炭鉱で栄えました(詳しくは「軍艦島クルーズ」を参照)。伊王島も1941(昭和16)年から1972(昭和47)年まで炭鉱が操業し、最盛期は7000人の人口がありましたが、閉山後は人々が流出し、2012(平成24)年時点で700人台になっています。ただ、リゾートホテルができて観光客が来るようになり、本土との間に橋が開通したこともあって、島の活気は盛り返しつつあるようです。

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【03】

馬込教会の歴史

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隠れキリシタンの歴史から長崎はキリスト教の信者が多い地域ですが、伊王島も禁教時代の潜伏地のひとつで、現在も住民の半数がキリスト教信者といわれています。
 
禁教令がまだ解けていない1871(明治4)年、沖之島の馬込(まごめ)地区に椎山小聖堂という会堂を信者自ら建設。これが馬込教会の発端です。そして、解禁後に赴任したマルマン神父によってレンガ造の教会が1890(明治23)年に完成しますが、1927(昭和2)年と1930(昭和5)年の台風で崩壊してしまいます。直ちに再建が図られ、台風に耐えられる鉄筋コンクリート造の教会が1931(昭和6)年に竣工し、現在に至ります。
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独特なファサード

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再建された馬込教会は、松岡孫四郎神父の指導の下で伊王島の大工棟梁 大和和吉が施工したといわれています。ただし、松岡神父が設計したかどうかは分かりません。
 
構造は前述の通り鉄筋コンクリート造。様式はゴシックで、大小多数の尖塔や尖塔アーチ、柱型によってファサードは過剰なまでに垂直性が強調されています。正直なところ上手なデザインとはいい難い。また、側面や内陣側はそれほど装飾過多ではなく、突出したファサードが全体のバランスを崩している印象も否定できません。本物のゴシック建築を知らない当時の日本人の限界といってしまえばそれまでですが、しかし、その不器用な面を含めてこそ長崎の教会建築は魅力的なのです。
 
筆者の訪問時は施錠されていたので内部は見ていませんが、平面は三廊式、天井は尖塔アーチによるリブ ヴォールト天井とのこと。
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建物名

馬込教会(沖之島教会、伊王島教会とも)

Magome Church

設計者

不詳

所在地

長崎市伊王島町2-617

用途

教会(宗派はカトリック)

竣工

1931(昭和6)年

構造・規模

構造:鉄筋コンクリート造

交通

船:長崎港から高島行きに乗船、伊王島で降りる。徒歩10分。

車:伊王島大橋を渡って道なり。教会に駐車場なし。伊王島港に駐車して徒歩。

バス:長崎バス 伊王島ターミナルバス停下車。

備考

ここは信仰の場です。見学の際は教会や信者の方々の迷惑とならないよう十分な配慮をお願いします。現地で注意事項を確認の上、その指示に従ってください。

左から馬込教会、神ノ島教会

補註

  1. 伊王島の初期教会建築としては、馬込教会の他、大明寺教会が1879(明治12)年に竣工。同教会は1973(昭和48)年に建て替えられ、最初の建物は1995(平成7)年に愛知県の明治村に移築保存された。

リンク

  1. 長崎県東京事務所大いなる遺産ながさきの教会馬込教会
  2. 長崎の教会 > 長崎南地区 馬込教会
  3. 旅する長崎学【第24回】伊王島 ぐるり!しま一周教会巡礼のマナー
  4. YOMIURI ONLINE(読売新聞)新おとな総研記者の旅九州・沖縄炭鉱の影消え 今は観光…伊王島

公開日:2013年5月25日、最終更新日:2013年5月25日、撮影時期:2006年1月、2011年7月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)

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