【02】
子ども達が自ら掘った防空壕
長崎県の佐世保市に、国民学校(現在の小学校にあたる)の生徒と教師が戦時中に自らツルハシで掘った防空壕が残っています。この防空壕は、当時の校長によって「無限」や「終わりのないさま」という意味の無窮洞(むきゅうどう)と名付けられました。工事は昭和18年に始まって完成しないまま終戦。原爆でヤケドを負った人達の避難所に使われたこともありました。
無窮洞の入口は、崖地に穿たれた人ひとりが通れる程度の小さな開口部ですが(大きかったら防空壕の用をなさない)、内部には小学生のセルフビルドとは思えないほど大きな空間が広がっています。
【03】
すべてを掘り出して造った
入って最初の空間は教室です。写真03は出入口から奥を、写真01は奥から出入口を見たところ。建築的に注目すべきは、教卓や照明用の棚やカマドといった細部に至るまですべて岩盤を掘り出して造っていることです。表面には女子生徒が仕上げたノミの跡が残っています。
【04】 御真影室
炊事場から御真影室まで
教室の奥は炊事場・通路・倉庫といった諸室の他、天皇陛下の写真を保管する御真影室があるところに当時の時代背景を感じます。
【05】
総力戦の一端
小学生が手作業で掘った空間に身を置くと、大人が監督したにせよ施工レベルの意外な高さに感心する一方、悲惨さや残酷さ以外の戦争の実態を垣間見ることができます。つまり、近代の戦争とは戦争遂行に国民を総動員する正に総力戦だったことを、建設工事に小学生を動員した事実は物語っているのです。
その他の戦跡
明治時代から軍港として栄えた佐世保市には、無窮洞をはじめ多数の戦争遺跡が現存しています。このページの末尾にリストを載せていますので、興味のある方はぜひご覧になってみて下さい。
建物名 | 無窮洞 Mukyudo |
---|---|
設計者 | 不詳 |
所在地 | 長崎県佐世保市城間町 |
用途 | 防空壕(小学校) |
竣工 | 1943(昭和18)年に着工、1945(昭和20)年の終戦で工事中止。 |
構造・規模 | 構造:素堀りによるトンネル状構造物 |
交通 | 車:佐世保市街から国道205号線を南下、駐車場あり 鉄道:大村線 南風崎駅下車 |
備考 | 地元ボランティアの方の案内あり 周辺には針尾送信所無線塔や川棚魚雷発射試験場などの戦争遺跡が点在する。戦跡に興味のある方はそれらもぜひ訪れていただきたい。 |
補注
- 戦前の学校には御真影を収めた場所や独立した建物があった。これらは奉安(ほうあん)庫や奉安殿という。
リンク
佐世保市の戦跡
- とんねる横町 防空壕を利用した市場。
- 佐世保海軍工廠 当時のレンガ建築群が現存、いまは海上自衛隊と佐世保重工業(SSK)が使っている。SSKは公道から見学可能。自衛隊基地の撮影は職質されるおそれがあるので要注意。
- 前畑埠頭の倉庫群 海軍工廠時代の建物で現在は民間企業が使用している。
- 針尾送信所無線塔 RC造の3本の巨大な塔はすごい迫力。新西海橋の歩行者通路がビューポイント。
- 砲台跡 佐世保を防衛するために建設された砲台の跡が何カ所か残っているが、アクセスは難しい。行きたい人は各自で調べてほしい。
- 川棚町の戦跡 佐世保市の隣の川棚町にも魚雷発射試験場などの戦跡がある。
公開日:2010年8月8日、最終更新日:2010年8月8日、撮影時期:2009年12月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)