概要
長崎市は1945(昭和20)年の原爆投下で壊滅的被害を受けたものの、造船所や炭鉱といった産業に恵まれていたこともあり、急速な復興を遂げました。その戦後復興期に市民の生活を支えた木造市場が現在も市内各所に残っています。
木造市場は、戦前から戦後初期にかけて全国的に数多く建設されたと思われますが、他の商業施設との競争に勝てずに潰れたり、建物の老朽化や現行の建築基準法に適応できないこと(既存不適格)で解体されたりして、ほとんど消えてしまいました。しかし、福岡県北九州市や北海道旭川市のようにまとまった数の木造市場が現存する都市もあって、長崎市には少なくとも10件が残っています。
おそらく、多数の木造市場が建設された都市のうち、大規模商業施設の進出が遅れたり再開発があまり行われなかったところに、比較的残っているものと思われます。さらに、長崎市の場合は傾斜地に囲まれて平地が少なく、そこに建物が密集しているため建て替えや再開発が難しいという事情も大きいのではないでしょうか。
とはいえ、戦後60年以上が経過してさすがにどの市場も老朽化が進み、常連客以外に買い物する人は少なく、正直いって中長期的には存続が難しいでしょう。本稿ではこの「昭和遺産」と呼ぶべき長崎市の木造市場群を、記録の意味を兼ねて紹介いたします。
銅座市場
おそらく、多数の木造市場が建設された都市のうち、大規模商業施設の進出が遅れたり再開発があまり行われなかったところに、比較的残っているものと思われます。さらに、長崎市の場合は傾斜地に囲まれて平地が少なく、そこに建物が密集しているため建て替えや再開発が難しいという事情も大きいのではないでしょうか。
とはいえ、戦後60年以上が経過してさすがにどの市場も老朽化が進み、常連客以外に買い物する人は少なく、正直いって中長期的には存続が難しいでしょう。本稿ではこの「昭和遺産」と呼ぶべき長崎市の木造市場群を、記録の意味を兼ねて紹介いたします。
大黒市場
本稿の構成
凡例:バルーン=現地調査済み、丸=現地未見
勝山市場