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大野教会 ( 1/2 )
Ohno Church
長崎市、マルコ マリ ド ロ(ド・ロ神父) 、1893 (明治26)年
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外海の歴史とド・ロ神父の功績

長崎県の外海(そとめ)地方は、今でこそ長崎市中心部から車で小一時間ほどで行けるようになりましたが、近代までは交通の便の悪い辺境の地でした。それ故、キリスト教禁令下の江戸時代は隠れキリシタンの潜伏地となり、彼らは密かに信仰を続けながら暮らしていました。
 
明治になって禁教が解かれるとヨーロッパから神父達が来日し、外海地方にはフランス出身のド・ロ神父が着任。彼はこの地での布教と人々の生活改善に尽力して長崎で生涯を終えます。
 
ド・ロ神父が手掛けた建築物としては、出津(しつ)教会と関連施設が有名で観光名所になっていますが、そこからさらに北上したところにあって、出津教会と同じくド・ロ神父が設計した大野教会は、訪れる人も少なく、海を見下ろす傾斜地に静かに佇んでいます。

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【03】

教会設立の経緯

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1882(明治15)年に出津教会ができた当初は、大野郷(おおのごう)集落の信者もそちらに通っていました。しかし、身体が衰えた人が出津教会に行くのは難しいことから、1893(明治26)年にこの集落のために大野教会が建てられた次第です。大野教会には神父は常駐せず、出津教会の神父が定期的に巡回する方法で運営されました。
 
現在は特別な場合以外は使われてなく、普段は施錠されています。よって、内部の見学はできません。
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【04】

希少なド・ロ壁の建築

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大野教会は独特な石積みの壁が特徴です。もともとこの地方には、水平に割った石材を、天川(アマカワ)と呼ばれる砂・石灰・ノリ・スサの充填剤を用いて積み上げるという伝統工法がありましたが、ド・ロ神父はこれを元に、石材に玄武岩を、充填剤に赤土を用いる工法を考案。これを「ド・ロ壁」といいます。ド・ロ壁は、建築工法の希少性はもちろん、僻地に着任した外国人宣教師が土着の工法を上手く活用した、つまり西洋と日本の技術が融合した事例としても注目すべきものです。
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建具の開閉は片引き。アーチだけは不揃いの石材では難しいからかレンガを使用。
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玄関前に立っている壁は風除けのためと見られる。
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後ろの部分は1926(大正15)年に増築。神父が巡回したときに寝泊まりするスペース。
建物名

大野教会(大野天主堂とも表記)

Ohno Church

設計者

マルコ マリ ド ロ(ド・ロ神父)

Marc Marie de Rotz

所在地

長崎市大野町2624

用途

教会(宗派はカトリック)

竣工

1893(明治26)年

構造・規模

構造:石造 一部木造

交通

車:長崎市街地から国道202号線を北上 約1時間

バス:長崎バス 大野バス停下車 徒歩10分

備考

国指定重要文化財

世界遺産暫定リスト「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」のひとつ

ここは信仰の場であり、周囲は普通の集落です。見学の際は教会や地元の方々の迷惑とならないよう十分な配慮をお願いします。

内部の見学はできません。

左から池島炭鉱、大野教会、出津教会黒崎教会

リンク

  1. 大野教会マルク・マリー・ド・ロ ウィキペディア
  2. 長崎県東京事務所大いなる遺産ながさきの教会大野教会
  3. 長崎の教会 > 長崎北地区 大野教会
  4. 長崎新聞めざせ世界遺産出津教会、大野教会
  5. おらしょ こころ旅大野教会堂
  6. 集落町並みWalker > Data Base 長崎 出津
  7. 旅する長崎学教会巡礼のマナー

参考文献

  1. 『大野教会の建築について』川上秀人(九州大学)、日本建築学会学術講演梗概集 昭和49年10月、CiNii(サイニィ)の当該ページ

公開日:2012年10月21日、最終更新日:2012年10月21日、撮影時期:2011年9月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)

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