【02】
外海地区の歴史
外海地区の景観
しかし、そのような辺境だったからこそ、キリスト教が禁じられていた江戸時代には多くの隠れキリシタンが潜んでいました。禁教時代の信仰の苦難を描いた遠藤周作の小説『沈黙』の舞台となったのがこの外海地区です。
【03】
伝道と救済に生涯を捧げたド・ロ神父
ド・ロ神父の胸像
フランス貴族出身の彼は私費を投じてまず出津教会を建設。さらに、マカロニやそうめんを生産する作業場を設けることで、貧しい暮らしにあえぐ集落に新たな産業をもたらしました。作業場等の施設はまとめて出津救助院と呼ばれています。つまり、ド・ロ神父は現在の国連やNPOが行うような人道援助活動を明治時代に実践していたのです。
このように、当時ヨーロッパから異国に赴く宣教師は、教会建設に必要な建築学をはじめ医療・農業などの幅広い知識を身に付けた技術者でもありました。長崎県などで多数の教会を手掛けた教会建築の第一人者 鉄川与助もド・ロ神父から指導を受けており、彼はド・ロ神父に深い感謝の念を抱いていました。
ド・ロ神父は1914(大正3)年に長崎市で逝去。来日後、一度もフランスに帰ることなく日本で生涯を終えました。彼のお墓は外海の地に建っています。
【04】
出津教会の建築的特徴
出津教会は1882(明治15)年の竣工後、1891(明治24)年には祭壇方向に1.5倍の長さに増築、1909(明治42)年には正面玄関を増築して現在の姿になりました。増築で長さが延びたため、建物のバランスは必ずしも良いとは言い難い面があるものの、シンプルで品格ある教会と言えるでしょう。
しっくい仕上げで分かりにくいのですが構造はレンガ造。切妻屋根で内外部とも装飾が少ない比較的シンプルな教会ながら、正面と祭壇側の建物前後に塔屋を持つ点がユニークです。
【05】
シンプルでどこか日本的な内部
平面計画は教会では標準的な三廊式。一方、白い壁と天井に木の柱・梁が露出した真壁風の内装は日本の伝統建築を思わせ、和洋が融合した空間が見られます。
【06】
出津救助院の建物
右の写真は旧鰯網(いわしあみ)工場(1885、明治18)で、現在はド・ロ神父記念館という彼の功績を展示する施設になっています。もう1棟の授産場(1883、明治16)と併せたこれらの施設群の総称が出津救助院で、明治初期に社会福祉事業を実践した重要性等が評価され、国の重要文化財に指定されています。
建物名 | 出津教会(出津天主堂とも表記) Shitsu Church |
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設計者 | マルコ マリ ド ロ(ド・ロ神父) Marc Marie de Rotz |
所在地 | 長崎市西出津町2633 |
用途 | 教会(宗派はカトリック) |
竣工 | 1882(明治15)年 1891(明治24)年と1909(明治42)年に増築 |
構造 | レンガ造 一部木造 |
交通 | 車:長崎市街地から国道202号線を北上、駐車場あり バス:長崎バス 出津文化村バス停下車 徒歩20分 |
備考 | 出津教会:長崎県指定有形文化財 出津救助院:国指定重要文化財 世界遺産暫定リスト「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」のひとつ ここは信仰の場です。見学の際は教会や信者の方々の迷惑とならないよう十分な配慮をお願いします。筆者の訪問時は内部の見学・撮影は可能でしたが、その後に状況が変わっている可能性があります。現地で注意事項を確認の上、その指示に従ってください。 |
参考文献
- 『九州・沖縄を歩こう! 建築グルメマップ2[九州・沖縄編]』290頁、エクスナレッジ
- 『三沢博昭写真集 大いなる遺産 長崎の教会』三沢博昭、発行 智書房、発売 青雲社
- 『別冊太陽119号 日本の教会を訪ねて』平凡社
補註
リンク
- 出津教会、マルク・マリー・ド・ロ ウィキペディア
- 長崎県東京事務所 > 大いなる遺産ながさきの教会 > 出津教会
- 長崎の教会 > 長崎北地区 出津教会
- 長崎新聞 > めざせ世界遺産 > 旧出津救助院 ド・ロ神父遺跡
- あじこじ九州 > 長崎県 > 出津教会
- 旅する長崎学 > 教会巡礼のマナー
- ナガジン! > 爽快ドライブ2〜祝!長崎市〜夕陽が美しい隠れキリシタンの里・外海
- 長崎市観光・宿泊ガイド あっ!とながさき > エリアで楽しむ > 外海・琴海地区
- おらしょ こころ旅 > 出津教会堂
- 集落町並みWalker > Data Base 長崎 出津
公開日:2011年2月5日、最終更新日:2014年6月21日 リンクに「おらしょ こころ旅」を追加、撮影時期:2005年9月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)