【02】
空襲時に長崎県が指揮を執った防空壕
立山防空壕は長崎市内に残る防空壕のひとつで、太平洋戦争中は長崎県防空本部が置かれていました。空襲警報発令下において県が警備や救援などの指揮を執るところで、いわば長崎県庁の最後の砦といえるでしょう。
平面計画
山に囲まれた長崎市は土地の大部分が傾斜地の街です。立山防空壕はその斜面に掘った複数の横穴で構成されていて、それらの横穴は奥で繋がっています。平面計画は長官室(知事室)や通信室などの諸室と廊下に間仕切りされた片廊下型であり、窓が無くて天井がヴォールト型であること以外は普通の事務所建築のプランニングですが、壁を撤去して内部空間全体を見通せる部分もあります【01】。
【03】
「新型爆弾」対策会議の矢先に
昭和20年8月9日は、3日前に広島市に落ちた「新型爆弾」の報告を受けて、その対策を協議する会議が防空本部で行われることになっていました。知事と幹部が集まり会議を始めようとしたそのとき、長崎市にも原爆が炸裂したのです。被爆直後の混乱の中、次第に明らかになる甚大な被害状況が、この防空壕から国の防空総本部長官などに向けて打電されました。
【04】
数少ない被爆遺構
海外文化との交差点や近代産業の出発点など、長崎市は重層的な歴史を持つ都市です。中でも原爆は特に大きな「地層」であるわけですが、その歴史の直接的な証拠といえる被爆遺構は、現存数が少ない上に取り壊しで減少傾向にあります。
とはいえ近年は少しずつ整備されてきています。立山防空壕は、長崎歴史文化博物館(設計:黒川紀章氏)の開館に伴って一般公開されたものですし、2010(平成22)年には三菱の兵器工場だった住吉トンネル工場も公開されました。原爆の事実が歴史の断層とならないように被爆遺構を後世に残す努力が、地元だけでなく社会全体に課せられた使命といえるでしょう。
建物名 | 立山防空壕 Tateyama Shelter |
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設計者 | 不詳 |
所在地 | 長崎県長崎市立山1(長崎歴史文化博物館の裏) |
用途 | 防空壕 |
竣工 | 太平洋戦争中と思われる |
構造・規模 | 構造:(鉄筋?)コンクリート造 |
交通 | バス:桜町公園前下車 路面電車:桜町電停下車 |