【02】
ほとんど営業することなく閉鎖したリゾートホテル
大分と熊本の県境付近、阿蘇外輪山の北側という山奥に、自動車レースF1の誘致を目指してオートポリスというレーシングコースが完成したのはバブル末期の1990(平成2)年のこと。翌年にはオートポリスの付属施設としてアーキテクトファイブが設計した観覧席とリゾートホテル、内藤廣氏による美術館が竣工します。
しかし、その直後にオートポリスのオーナー企業が経営破綻し、ホテルと美術館も閉鎖されます。両施設ともほんの短期間で営業が終了したはずです。その後、レーシングコースの方はスタッフの尽力やモータースポーツファンの支持で何とか運営を続け、現在は比較的安定した状態を保っています。
一方、ホテルと美術館は無用の長物として放置された末に、いつの間にか(2000年代後半か?)解体されてしまいました。本稿では筆者が2002年に撮影した閉鎖中のホテル ベラ ビスタについて紹介します。
【03】
VIP向けの全室スイートルーム
設計者は『新建築』誌上でホテル ベラ ビスタをVIPホテルと説明しています。VIPが具体的にどのような客かは書かれていませんが、おそらく会員権を購入した富裕層のことでしょう。室数わずか28室でその全てがスイートルームという、実に贅沢なホテルでした。当初の計画ではさらに350室の一般向けホテルを近くに建設する予定でしたが、オートポリスの経営破綻で頓挫しています。
泡と消えた夢物語
いま振り返れば荒唐無稽としか思えないこんな話がバブル時代はいくつも転がっていました。当時を象徴するリゾートホテルといえば、ホテル川久(和歌山県)やホテルエイペックス洞爺(現在はザ ウィンザーホテル洞爺、北海道)がありますが、これらが現在も経営を続けているのに対して、ほとんど稼働することなく放置の末に解体されたベラ ビスタは、まさにバブル経済の泡に消えたといえるでしょう。
【04】
逆円錐形部分の機能
また、逆円錐形の反対側にある円形舞台のようなプールは、実際に泳ぐところというよりプールサイドでパーティを行うためのスペースです。
【05】
客室は桟敷席
『新建築』の説明文で設計者はサーキットと大自然をステージに例えて、「ホテルの各客室はオペラハウスの桟敷席にあた」ると書いており、円形バルコニーはその桟敷席のイメージでデザインしたと思われます。
【06】
【07】
閉鎖的なエントランス側立面
「無かったこと」で済ませていいのか
ホテル ベラ ビスタはリゾートホテルとしては真っ当なデザインでした。南の島にでも建てられていれば人気を博したことでしょう。オートポリスの経営が持ち直した傍らで、いつの間にか解体されて「無かったこと」にされた建築。バブルの功罪を問い直す意味でその記録をここに残しておきます。
名称 | ホテル ベラ ビスタ Hotel Bella Vista |
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設計者 | アーキテクトファイブ ARCHITECT 5 PARTNERSHIP |
所在地 | 大分県日田市上津江町上野田 |
用途 | ホテル |
竣工 | 1991(平成3)年 |
構造・規模 | 構造:鉄筋コンクリート造 一部プレストレスト鉄筋コンクリート造 建築面積:2,880m2、延床面積:5,983m2 階数:地下1階、地上5階、塔屋2階 |
備考 | 現存せず |
参考文献
- 『新建築』1992年1月号、新建築社
リンク
- オートポリス ウィキペディア
- ARCHITECT 5 PARTNERSHIP > Project > 建築 1986-1992 No.010
公開日:2002年11月26日、最終更新日:2011年8月7日、撮影時期:2002年10月
カメラ:Nikon COOLPIX775(Photoshopで修正)