photo00
夕陽ヶ丘住宅 ( 1/3 )
Yuhigaoka Apartment
大阪市、建設院建築局住宅建設課、1948〜49 (昭和23〜24)年度、現存せず
photo01

【01】
photo02

【02】

大阪における戦後最初期の鉄筋コンクリート造公営住宅

同潤会アパートをはじめ、昭和初期に相応のレベルに達していた我が国の鉄筋コンクリート(RC)造集合住宅の歴史は、長崎県の端島炭鉱(軍艦島)の社宅という例外はあるものの、一般的には戦前・戦中期の昭和10年代に資材不足でほぼ途絶してしまいます。そして戦後、1948(昭和23)年に1期工事が竣工した東京都の都営 高輪アパート(現存せず)から再スタートを切りました。
 
高輪アパート1期のタイプは、その設計が行われた1947年から47型と呼ばれています。さらに翌年、これを若干改良した48型が設計され、1948~1949(昭和23~24)年度 註1 にかけて全国の主要都市に建設されました。本稿の夕陽ヶ丘住宅はこのときに建てられた大阪府営住宅のひとつで、大阪における戦後最初期のRC造集合住宅です。2012(平成24)年の時点で夕陽ヶ丘住宅は既に閉鎖されており、いずれ解体が予想されますが、集合住宅史の記録を残す意味で紹介しておきます。

plan01

48型 立面図・断面図(『公営アパートの設計について─標準設計の背景と展開─』から引用)
 

48型の特徴

最初に48型の図面を見ながら特徴を説明しましょう。48型は壁式RC造の階段室型住棟です。ラーメン構造ではなく壁式構造を採用したのは、GHQの資材統制下において限られた資材で建設するためで、前身の47型は日本で最初の壁式RC造集合住宅でもあります。階高2,600mm(47型は2,500mm)という寸法からもギリギリの経済設計であることが読み取れます。壁厚は180と150mm。階数は4階建。ただし、前述の高輪アパートでは2棟だけ3階建が造られました。

plan02

48型 平面図(前掲書から引用した図面を加工)


次に階段室の位置について。集合住宅の設計では階段室は北側配置(北入り)が一般的であるのに対して、47・48型は南入りで設計されています。南向きの居室をできるだけ確保する考え方からすれば、南側に階段を置くのは非合理的なのですが、平面図を見ると決して南面を軽視していたわけではなさそうです 註2 
 
住戸のプランは8畳と6畳の続き間に台所・便所・洗面(廊下に設置)がある一方、浴室やバルコニーはありません 註3 。一住戸の面積は39.5m2。基本的に47型と同じプランですが、47型にあった8畳間の床の間を廃止して押入の面積を増やすなど、若干の変更が行われています。また、将来の2戸1化(2つの住戸を1つにする)を想定し、玄関・洗面・便所部分の界壁は撤去しても差し支えない非耐力壁で造られていました。
photo03

【03】

夕陽ヶ丘住宅の状況

GoogleMap01

Googleマップのキャプチャ

夕陽ヶ丘住宅は大阪市天王寺区に1948~1949(昭和23~24)年度に竣工しました。また、近隣には筆ヶ崎住宅(昭和23〜25年度)や椎寺住宅(昭和24年度)も建てられています(どちらも現存せず)。夕陽ヶ丘住宅の住棟数は2棟で、1棟の戸数は24戸、総戸数は48戸。規模的には小さな団地です。2棟は十分な間隔が空いていますが、道路が通るなど中庭と呼ぶにはいささか不十分な空間です。

竣工時からの変化としては、窓の建具を木製からアルミ製に交換、2階から上の階段室開口部に庇を設置、妻側を異なる色に塗装といった点に気付く程度で、おおむね竣工当時の姿を維持しているといえます。

photo04

【04】

浴室の有無

北立面(写真01・04)も、更新した配管が露出している以外に目立った変更箇所は見られません。前述の通り48型は浴室がないため、筆者が他の地域で見た同型住棟は浴室等を凸状に増築した例が多いのですが、夕陽ヶ丘住宅では増築がされていないということは、最後まで浴室なしだったのでしょうか(未確認)。

住棟を貫通する半地下通路

夕陽ヶ丘独自の特徴としては、北棟(第2棟)のみ設けられた住棟を貫通する半地下通路の存在が指摘できます。同様の通路は山口県下関市の清和園住宅(48型)でも見たことがありますが、清和園が階段室地下の倉庫(これは48型の設計にある)にアクセスする通路を利用しているのに対して、夕陽ヶ丘の場合は階段とは別の独立した通路です。いずれにせよ、48型を標準設計としつつ各自治体で何らかの工夫を加えていたことがうかがえます。
 
photo20

左:夕陽ヶ丘住宅、右:清和園住宅

名称

夕陽ヶ丘住宅

Yuhigaoka Apartment

設計

建設院建築局住宅建設課(48型の基本設計)註4

Ministry of Construction

所在地

大阪市天王寺区松ヶ鼻町

用途

集合住宅

竣工

1948〜49(昭和23〜24)年度

構造・規模

構造:鉄筋コンクリート造

面積:不明

交通

鉄道:大阪環状線 桃谷駅下車 徒歩約5分、地下鉄谷町線 四天王寺前夕陽ヶ丘駅下車 徒歩約12分

備考

現存せず


補註

  1. 一般的に行政資料は公営住宅や公共施設の竣工年を「年」ではなく「年度」で記載する。したがって、「1948~1949(昭和23~24)年度」の実際の竣工時期は、最も遅い場合で1950年1〜3月の可能性がある。
  2. 50型や51型などにも南入りはあった。これは、北入りと南入りの住棟を向き合わせて住民の交流を図ったもので、このような配置をNSペアという。
  3. 戦前や戦後のある時期まで大半の一般住宅に浴室はなく、人々は銭湯に通っていた。集合住宅に浴室が普及するのは、昭和30年代に建設が始まった日本住宅公団の団地からである。
  4. 建設院は1948(昭和23)年の一時期だけ存在した省庁。同年、建設省に引き継がれた。なお、建設院の英訳が分からなかったので建設省と同じとした。

参考文献

  1. 『公営アパートの設計について─標準設計の背景と展開─』建設省住宅局住宅建設課、日本建築学会「建築雑誌」VOL.67, NO.782, 1952、CiNiiの当該ページ
  2. 『鋼筋コンクリート公營アパートの設計と構造』二見秀雄(東京工業大学)、日本建築学会「建築雑誌」VOL.64, NO.753, 1949、CiNiiの当該ページ
  3. 『世界一美しい団地図鑑』志岐祐一・内田青蔵・安野彰・渡邉裕子、エクスナレッジ

リンク

  1. Het architecture夕陽ヶ丘住宅
  2. ALL-A夕陽ヶ丘住宅清和園住宅魚の町団地 筆者の個人サイトで48型の3団地を紹介している。

公開日:2012年12月22日、最終更新日:2014年4月12日 「現存せず」を追記、リンクを1件追加、撮影時期:2007年9月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)

inserted by FC2 system