現存する48型公営住宅
前ページで図面を引用した『公営アパートの設計について』によると、48型は「六大都市及び広島、長崎等の主要都市に建設」されました。広島と長崎が建設地に選ばれたのは、原爆被害から復興するため特に力が注がれたものと思われます。筆者がネット・文献・現地調査で確認できた範囲では、2012年時点で次の4ヶ所に48型が現存しています。このうち、筆者が実際に訪れたのは夕陽ヶ丘住宅・清和園住宅・魚の町団地の3ヶ所です。平和アパートについてはmakotoさんによる紹介記事をご参照ください。
夕陽ヶ丘住宅
所在地:大阪市天王寺区松ヶ鼻町
竣工:1948〜1949(昭和23〜24)年度
状況:現存せず
詳細は前ページの通り。
平和アパート
所在地:広島市中区昭和町
竣工:1948〜1949(昭和23〜24)年度
状況:解体予定
写真:「 平和アパート」の記事から引用
3棟中、昭和23年度の1期工事で建設された1号棟が48型で、翌年度の2期工事による2・3号棟は49B型である。1号棟は南側に増築されている。増築部分のデザインもさることながら、メンテナンスが行き届いた外観はとても戦後初期の建築とは思えない。
清和園住宅
所在地:山口県下関市
竣工:1948(昭和23)年度
状況:現存
標準では階段室は3ヶ所で設計されているが、この清和園住宅は5ヶ所もあるという横に長い住棟である。北側に浴室が増築されている。
魚の町団地
所在地:長崎市魚の町
竣工:1948(昭和23)年度
状況:現存
居室ではなく階段室の前という珍しい場所に浴室が増築されている。したがって、入浴するには玄関を出て階段を半階分上がらなければならない。敷地条件からこのような独特な設計になったと思われる。
48型の歴史的意義
高輪アパート1期の47型を改良した48型が高輪アパート(2期)や各地に建てられた後も、建設省が年ごとに住戸プラン(間取り)を制定し、それに基づいて地方自治体が公営住宅を建設する方式はしばらく続きます。1949(昭和24)年度以降は面積別に複数タイプが設計されるとともに、この年から正式に「標準設計」と呼ばれるようになりました。中でも1951(昭和26)年度の51C型は、「食寝分離」と「就寝分離」を実現し、ダイニングキッチンが普及するきっかけとなったプランとして有名です。
1950(昭和25)年、各地に住宅協会(現在の住宅供給公社)が設立。そして1955(昭和30)年には日本住宅公団(現在の都市再生機構)が設立されました。公営・公社・公団という3種類の公共住宅に加えて民間企業も社宅を積極的に建設した結果、団地という新たな住空間が市街地や郊外に出現します。やがて民間のマンションが台頭、1990年代末頃からタワーマンションが急増する一方で、公共住宅の必要性は低下し、老朽化した団地は解体が相次いでいます。ただ、改修やリノベーションを施して古い団地を使い続ける事例もあります。
前ページの冒頭で述べたように、RC造集合住宅の建設は昭和10年代に中断を余儀なくされています。戦後、意外と早く再開できたのは戦前までの経験と技術的蓄積のおかげですが、しなしながら戦争による中断の影響は決して小さくありません。したがって、戦前の建設実績はあるにせよ、日本のRC造集合住宅(団地)の実質的・直接的な原点は高輪アパートと各地の48型公営住宅であるといえるのではないでしょうか。集合住宅史においては51C型の存在が非常に大きいため、50型以前はあまり目立っていませんが、戦後の混乱が続く昭和20年代前半にいち早くRC造集合住宅を建設した意義はもっと評価されて然るべきだと思います。