【02】
形がユニーク過ぎて短命に終わった建築
元々このホテルは法華グループの「ホテルCOSIMA」という名前で1994(平成6)年開業したのですが、経営難から2000(平成12)年にフランスのアコーホテルズに譲渡され、「ソフィテル東京」として再スタートを切ります。しかし、シティホテルの競争が激化する中、同ホテルは客室数の少なさや交通の便の悪さがネックとなってこの場所での営業継続を断念。建物は再利用されることなく2007(平成19)年に解体されました。
ホテルのグレードは比較的高い方で、営業当時の客の評価も良好でしたが、サービス内容はともかく建物の外観に対する評判は決して芳しくありませんでした。竣工から13年で解体という、スクラップ&ビルドが珍しくない我が国においてさえ高層建築としては異例の短命に終わったのは、他用途への転換が難しいデザインだったことに加えて、外観の不評が背景にあったのかも知れません。
【03】
「慣れ」と受容の問題
実際、後にホテルのそばにタワーマンションが建ったときは、(筆者の情報収集不足かも知れませんが)表立った批判の声は上がっていません。それが単純にタワーマンションが増えたせいだとすると、確かに「慣れ」の影響は大きく、やはり竣工当時は景観を乱すと批判を浴びたエッフェル塔や京都タワーがやがて受け入れられたように、このホテルもいずれは受容される可能性があったかも知れませんし、形が奇抜すぎて何十年経ってもダメだったかも知れません。
いわば、この建築は景観問題を考える上での一種の「実験」でもあったのですが、解体によってウヤムヤのまま終了したことになります。
【04】
設計者とメタボリズム
中銀カプセルタワービル
このメタボリズムに基づいて設計された主な建築には、黒川紀章氏の中銀カプセルタワービル(東京都)や大高正人氏の坂出人工土地(香川県)などがあります。ストラクチャー(構造体)は残してユニットを交換するというメタボリズムの手法は、現在のスケルトン インフィルやリノベーションといった理念を先取りしていたともいえるわけで、当時の先進的な建築思想でした。
【05】
メタボリズムの限界
江戸東京博物館
建築界の理論的指導者としての明晰さと、実際の建築デザインの「やってしまった感」という両極端が、建築家菊竹清訓の評価の難しさであり魅力の一面でもあります。折しも六本木ヒルズの森美術館で「メタボリズムと未来都市展」が開催された2011年の年末に菊竹氏は逝去されました。今後、氏の業績においてソフィテル東京などがどのように評価されるのか、注目されるところです。
名称 | ソフィテル東京(竣工時はホテルCOSIMA) SOFITEL TOKYO |
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設計 | 菊竹清訓 / 菊竹清訓建築設計事務所 KIKUTAKE Kiyonori / Kikutake Architects |
所在地 | 東京都台東区池之端2 |
用途 | ホテル |
竣工〜解体 | 1994〜2007(平成6〜19)年 |
構造・規模 | 構造:鉄骨造、階数:地下3階 地上26階 建築面積:777.2m2、延床面積:9,798.4m2 |
備考 | 現存せず |
リンク
- 都市徘徊blog > ソフィテル東京
- ばかけんちく探偵団ブログ > 【ばかのご】平和を乱す 五重塔
- ホテル・アーカイブズ > バックナンバー > vol102 ソフィテル東京
- ソフィテル東京、菊竹清訓、メタボリズム ウィキペディア
公開日:2003年12月1日、最終更新日:2012年1月7日、撮影時期:2003年10月、2006年11月
カメラ:Nikon COOLPIX775、Nikon D50(Photoshopで修正)