
【02】
同潤会とは
上野下アパートメント(以下、上野下アパート)は、同潤会(どうじゅんかい)が1929(昭和4)年に建てた集合住宅です。本稿執筆時点(2012年)で築83年になります。
まず同潤会について説明すると、この組織は1923(大正12)年に発生した関東大震災後、住宅の復興などの担い手として震災翌年に発足。大正末期から太平洋戦争直前までの期間に、東京と横浜で木造や鉄筋コンクリート(RC)造の住宅を数多く建設しました。同潤会は我が国初の本格的な住宅供給機関であり、昭和初期の段階で高水準の集合住宅を実現させた先進的な設計組織でした。
同潤会は社会が戦時体制へ移行する中で1941(昭和16)年に解散し、代わりに住宅営団が発足します。しかし営団も1946(昭和21)年にGHQの命令で解散。その役割は自治体の公営住宅や住宅協会(住宅供給公社)、日本住宅公団(現UR)の団地へと受け継がれていきます。

【03】
最後の同潤会アパート
同潤会が建設した住宅のうち、RC造集合住宅は全部で16ヶ所 註1 。一般に「同潤会アパート」という場合はこれら一連のRC造集合住宅を意味します。特に有名だったのが青山アパートで、渋谷区の表参道に建っていた姿をご記憶の方も多いでしょう。この青山アパートが表参道ヒルズ(設計 安藤忠雄氏)に建て替わったように 註2 、同潤会アパートは解体・建替が相次ぎ、本稿執筆時点では上野下アパートしか現存していません(追記:その後、解体された) 註3 。
他のほとんどの同潤会アパートと同様、上野下アパートも戦後に住民に払い下げられた後は住民組織がメンテナンスを行ってきました。他のアパートが末期は老朽化が激しかったことや、筆者が今まで見てきた古い集合住宅が老朽化と増改築で変容した姿を思うと、上野下アパートが竣工当時からさほど変わらない姿で良好な状態が保たれているのは驚くべきことです。住民の方々の維持管理に向けた努力には頭が下がります。

【04】
都市にオープンな存在
上野下アパートは2棟の4階建て住棟で構成され、総戸数は76戸。これは同潤会アパートの中では小規模な方です。2棟のうち大通りに面した1号館の低層部が店舗併用住戸になっていることや(写真06)、奥の2号館を前面道路からセットバックさせて前庭を確保した設計(写真02)からは、集合住宅を都市にオープンな存在にしようとした同潤会設計スタッフの意図が感じられます。
異なる住戸タイプが混在
4階部分が片持ちで突き出ているのは(写真04)、1〜3階が階段室型であるのに対して4階だけは中廊下型になっていて、この平面計画の違いによる床面積の差が立面に現れているためです。1〜3階には家族向け住戸が、4階には独身者向け住戸が入っています。全く異なる平面計画をひとつの住棟の上下階に重ねる設計は、現代ではほとんどあり得ません。このような複雑な設計は、ファミリー層と単身者の混在を意図したもので、これも同潤会アパートにおける大きな特徴です。

【05】
建て替え計画
長年維持されてきた上野下アパートですが、2012(平成24)年7月の新聞報道 註4 で建て替えの計画が明らかになりました。基本的に建て替えは所有者(住民)の専権事項だと分かっているものの、その歴史的重要性を鑑みると解体を回避できないものかと思わずにはいられません。
同潤会アパートは、戦後の団地から現在のマンションに至る近現代集合住宅の原点というべき存在です。つまり、日本人の住まいの歴史的証人といっても過言ではありません。江戸時代の民家・町家や明治以降の西洋館が文化財として保存されているのに対して、近現代のRC造集合住宅はなかなか保存の対象とは認識されにくいのですが 註5 、せめて「最後の同潤会アパート」くらいは後世に残すべきでしょう。最近は古いアパートを好む層が増えていることや、JR上野駅から徒歩圏内という立地条件を考えると 註6 、きちんとリノベーションを施せば経済的に存続できる可能性はあると思います 註7 。

【06】
復興の歴史
建築的価値に加えてもうひとつ保存すべき理由に、同潤会アパートが関東大震災後の復興建築であることが挙げられます。いま現在の最重要課題といえば東日本大震災からの復旧・復興に他なりませんが、そもそも日本の都市の歴史は、自然災害や大火事、そして戦災からの復興という一面も持っています。
多くの人々が津波で家を失い、原発事故で故郷を離れ、仮設住宅や遠く離れた土地での生活を余儀なくされている中、生活基盤の再建を考える上で同潤会の活動は様々なヒントを与えてくれます。もちろん図面や写真・書類といった記録からも学べますが、実物に勝るものはありません。上野下アパートの保存・再生は単なるノスタルジーではなく、我々の社会にとって大きな意義があるのです。
追記 報道によると2013年5〜6月に解体工事が始まり、2015年3月に14階建てのマンションが完成予定とのこと。
名称 | 上野下アパートメントハウス Uenoshita Apartment House |
---|---|
設計 | 同潤会建設部建築課 Dojyunkai |
所在地 | 東京都台東区上野5-4 |
用途 | 集合住宅 |
竣工 | 1929(昭和4)年 |
構造・規模 | 構造:鉄筋コンクリート造 階数:地上4階、棟数:2棟、総戸数:76戸 |
交通 | 鉄道:JR上野駅または地下鉄銀座線稲荷町駅で下車 |
備考 | 解体済み、現存せず。 |
補註
- アパートメント建設事業として15ヶ所。他に不良住宅の改良事業(スラムクリアランス)として建てられたものが1ヶ所あるので、RC造集合住宅全体では16ヶ所である。
- 表参道ヒルズの片隅には解体した青山アパートを部分的に再現したものが建てられている。これには賛否両論あるが、オリジナルの保存が難しかった状況では精一杯の成果だろう。
- 三ノ輪アパートも現存と述べた資料があるがそれは古い情報で、2009年に解体された。また、同潤会は木造アパート(長屋)も建設し、その一部は現存している。よって「最後の同潤会アパート」とはあくまでもRC造に限った話である。
- 朝日新聞2012年7月1日付朝刊記事による。
- URの集合住宅歴史館(東京都八王子市)や松戸市立博物館(千葉県)では戦後の団地の一部を再現・展示している。基本的に博物館のレプリカ展示やマンションのモデルルームと同じ方法だ。
- メットメディア上野経済新聞の記事によると実際に入居希望者は多かった。
- 例えば、求道学舎という1926(大正15)年に竣工したRC造の学生寮を一般向けの集合住宅にリノベーションした事例がある。
- 同潤会以外の震災復興建築の集合住宅では、東京市営店舗向住宅(東京都江東区清澄3、1928・昭和3年)が現存している。近年まで残っていた九段下アパートは2012年初頭に解体された。
- 建築マップで紹介している同潤会やそれ以外の復興建築は次の通りである。
参考文献
- 『消えゆく同潤会アパートメント』橋本文隆・内田青蔵・大月敏雄、河出書房新社
- 『同潤会アパート原景』マルク ブルディエ、住まいの図書館出版局
リンク
- 団地百景 > 同潤会上野下アパートメント
- 廃墟徒然草 -Sweet Melancholly- > 同潤会上野下アパート #01
- 都市徘徊blog > 同潤会上野下アパート
- 同潤会アパート ウィキペディア
- 住宅新報 > 現存する最後の同潤会アパート、マンション建替組合設立の認可取得
- msn産経ニュース > 最後の同潤会アパート、解体前に公開 上野下アパート、さようなら 最後の「同潤会アパート」【360°パノラマ】
- 上野経済新聞 > 同潤会アパート「上野下アパート」取り壊し工事進む-記念撮影者後絶たず
- R.E.port 不動産流通研究所 > さよなら「同潤会アパート」
- You Tube > さよなら同潤会アパート 上野下アパート、来月取り壊しへ(TOKYO MX)、最後の同潤会アパート解体 近代的集合住宅の先駆け(産経新聞)、築84年 最後の同潤会アパート取り壊しへ・・・(テレビ朝日 ANN NEWS)
- suumoジャーナル > 最後の同潤会「上野下アパート」の面影を残す新築マンションが誕生
公開日:2012年7月4日、最終更新日:2013年6月16日 リンク集を更新、撮影時期:2006年11月
カメラ:Nikon D50(Photoshopで修正)