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大英博物館 ( 1/4 )
British Museum
ロンドン、 スマーク兄弟 + ノーマン フォスター、1847・1857・2000


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【01】

大英博物館の歴史

世界屈指の博物館として知られる大英博物館は、18世紀の中頃、ある人物が自分の死後にコレクションの一括管理を望んだことから誕生しました。英王室付き侍医やニュートンの跡を継いで英国学術協会の会長を務めたハンス スローンは、美術品や動植物の標本から書籍まで実に様々な物を収集した後、コレクションをまとめて一般公開する施設を希望する旨の遺言を残して亡くなります。
 
この遺言に基づき、モンタギュー ハウスという邸宅を買い取り、スローンの蔵書・美術・骨董類に別の蔵書を加えた図書類2部門、その他1部門を設立当初の構成として、1759年に大英博物館は開館しました。上流階級の私的施設や大学の付属施設ではなく、無料で一般公開される公共施設としての博物館・図書館は世界で初めてでした。
 
しかし、個人邸宅だった建物では増大するコレクションの収蔵・展示に対応できないため、同じ敷地内に本格的な建物を建設することになり、ロバート スマークがその任に就きます。彼のおよそ30年間にわたる博物館の建設事業の中で最も有名なのが、1847年に完成した正面玄関(ファサード)の部分です。

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【02】

ファサード

総数44本ものイオニア式円柱が並ぶギリシア様式のファサードは実に壮観です。ただ、惜しむらくはファサード前面のスペースに余裕がなく、門扉からファサードまでの距離が短い上に前面道路の対面には一般の建物が並んでいるので、立派なファサードを鑑賞するに十分な視線の引きがありません。
 
普通、国を代表する博物館・美術館ならば前面に十分な広場や大通りがあるものです。ロンドンではトラファルガー広場に面したナショナル ギャラリーだとか、テート ブリテンのようにテムズ河に面するものなど、いずれも視線の引きを確保しています。しかし、設立当時、たまたま売りに出ていた適当な個人邸宅を買い取ってスタートしたという大英博物館の事情では、都市計画的に難点があったとしても仕方ないでしょう。

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【03】

イギリスにギリシア・ローマ様式は似合わない?

さらに、そもそもイギリスにギリシア様式が適当かどうかも個人的には疑問に思います。「一日の中に四季がある」との言葉通りイギリスの天気は本当にコロコロ変わるもので、私が大英博物館を訪れたときは曇りでした。どんよりした空の下でこのファサードを見た私の印象を正直に告白すると「イギリスの気候にギリシア様式は似合わんなあ」と感じたのです。
 
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ネオ クラシック建築の傑作に私ごときがアレコレとケチを付けるのはおこがましいのですが、やはりギリシア・ローマ様式はカラリと晴れた地中海の青空こそふさわしい。パルテノン神殿と見比べるとイギリスのネオ クラシック建築は陰気な感じが拭えませんね。
 
もっとも、私がそう思ったのは、大英博物館を訪れる前にいくつものゴシック建築─カンタベリー大聖堂や英国国会議事堂などを見た印象が強かったためかもしれません。
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