
【01】
城は国の象徴
建築物はその国の歴史や文化の象徴でもありますが、昔の王や領主の拠点である城は特にお国柄が強く表れる存在と言えるでしょう。イギリスにも各地に中世の城が現存しており、それらの現状は王宮として使われているものから廃墟と化したものまで様々です。ここで紹介するボディアム城は、比較的小規模ながらもその姿の美しさから人気のある城のひとつに数えられています。
建設の経緯
フランスとの間で100年戦争が繰り広げられていた14世紀、この戦争で功績を挙げたエドワード デイリングリッジは、1385年に国王リチャード2世からボディアム城の建設を認められます。デイリングリッジは、元々この地にあった彼のマナーハウス(領主の館)をベースに、水堀を築くなどフランスからの侵略に備えた本格的な城郭を1388年に完成させました。

【02】
イメージ通りの西洋のお城
林立するタワーと城壁が水面にそびえ立つ姿を一目見るなり、私は「そうそう、西洋のお城ってこんなイメージだよね」と思いました。絵に描いたようなというか、ファンタジー映画に登場しそうな、いかにもお城然とした外観がとても魅力的です。

【03】
城郭の概要

模型の向きは手前が南側。現在、南側には橋は架かっていません(写真02)。北側の橋は、当時は途中で折れて西に延びていましたが(模型の奥に見える橋がそれ)、現在の橋は真っ直ぐ北に延びています(写真03)。

【04】
ドラマチックなアプローチ

そして堀の縁まで近づくと、城壁を眺めつつ堀の周りを巡歩いて北側に回り込みます( 写真03)。北側にある管理事務所兼ミュージアムショップで入場料を支払うといよいよ入城。ゲートハウスまで一直線に延びる橋を渡ると城のファサードが目の前に迫ってきます(写真04)。実にドラマチックなアプローチです。

【05】
内部空間
外観を見る限りは今でも使えそうな現役の城に思えますが、内部はすっかり朽ち果てています。かつては地上2階・地下1階の建物が城壁に接してロの字型に建っていて、ホールやチャペル、居室などがあったそうですが、今は屋根や床は跡形もなく、部分的に残る石造の壁が当時の面影をかすかに伝えるのみという状態です。
中庭に立って周りを見回すと、城が現役だった時代、中庭側にも壁が建っていた頃はけっこう圧迫感があったのではと思いました。大半の内部構造物が失われた現在の方が開放的で、適度に囲まれた空間に心地よさを感じます。

【06】
戦乱を経て
ボディアム城が廃墟と化したのはフランスとの戦争のためではなく、イングランド国内が国王派と議会派に分かれて争った17世紀の内戦(市民戦争)によるものです。このとき国王派に付いていたボディアム城は議会派の攻撃を受けたり戦後に略奪されるなどして、内部の家屋は壊されて家財道具は持ち去られてしまいます。
その後、長年にわたり放置されてすっかり荒れ果てていた城は、19~20世紀にかけて名家や個人の所有者によって少しずつ修復されます。現在は環境保全団体のナショナルトラスト 註1 が所有・管理しています。

【07】
保存の難しさ
木造は日本が誇る建築文化ではありますが、火事に弱いのがいかんともしがたいところです。日本の城は大半が火災や戦災で焼失してしまい、江戸時代の天守閣が現存する城は数えるほどしかありません。その点は木造の屋根や床が失われても石造の壁が残るヨーロッパがはるかに有利です。
ボディアム城を訪れた時、たとえ廃墟であってもきちんと保護して見学できるイギリスのナショナルトラスト制度とそれに対する国民の支持をうらやましく思ったものですが、思うに日本で歴史的遺産の保護への理解がなかなか進まない理由として、やはり木造は燃えやすいことが背景にあるのかもしれません。
名称 | ボディアム城 Bodiam Castle |
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設計者 | 設計者は不詳。築城主はエドワード デイリングリッジ(Sir Edward Dalyngrigge) |
所在地 | イースト サセックス州ボディアム Bodiam, East Sussex |
用途 | 城 |
竣工 | 1388年 |
構造 | 石造 |
交通 | 鉄道:ケント アンド イースト サセックス鉄道のボディアム駅で下車、徒歩5分 |
備考 | 現在はナショナル トラストが所有。公開時間・入場料はこちらで確認のこと。 |
補注
- イギリスの環境保全団体。優れた自然環境や歴史的建造物(必ずしも有名建築ばかりとは限らない)を含む土地・建物を買い取って保護している。
リンク
公開日:2005年4月23日、最終更新日:2011年7月18日 スライドショーを追加、撮影時期:2004年9月
カメラ:Panasonic LUMIX DMC-FX1(Photoshopで修正)