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パーム ハウス ( 1/2 )
Palm House
ロンドン キュー植物園、デシマス バートン + リチャード ターナー、1848年
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キュー植物園の概要

世界で最も有名な植物園であるキュー王立植物園(以下、キュー植物園)は、ロンドン西部のテムズ川沿いにあります。直接の歴史は、英国王ジョージ3世の母親にあたるオーガスタ妃が1759年に庭園を開いたことに始まり、その後、面積と植物コレクションは拡大を続けました。現在の面積は132ヘクタール(約40万坪)という広大なもので、1日ではとてもすべてを見ることはできません。さらに、キュー植物園はプラントハンターと呼ばれる人々を世界中に派遣して植物を収集しており、そのコレクションもたいへん貴重なものです。世界各地の遺物を集めた大英博物館とともに、キュー植物園は大英帝国時代の権勢を今に伝える存在といえるでしょう。また敷地内には、植物園としてオープンする前の王宮時代の建築や、庭園のフォリー(添景となる建築物)、そして19世紀から21世紀にかけて建てられた温室など、様々な建築物が点在しており、建築ファンならそれらを巡り歩くのも一興です。
 
このような重要性が認められ、キュー植物園は2003年に世界遺産に登録されました。なお、キュー植物園の全体像を説明するとたいへん長くなる上に筆者の手に余るので、本稿では温室のパーム ハウスを中心に述べることにします。

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キュー植物園の象徴 パーム ハウス

キュー植物園を象徴する建築といえばパーム ハウスです。この全長110mの大温室は、建築家のデシマス バートンと技師のリチャード ターナーの設計で1848年に竣工しました。パーム(ヤシ)の名前が付いている通り、ヤシの木を植えるために中心部は高さ19m 註1 の空間が確保されています。これほど大きな鉄骨造建築でありながら、比較的細い部材と白い塗装によって優雅で繊細な姿に仕上がっています。
 
ガーデニング大国イギリスの植物園というと手の込んだ庭園を想像しがちですが、実際の大部分は樹木と芝生が延々と続くのどかな光景が広がっていて 註2、鳥などの動物もたくさん生息しています。水と緑が溢れる中に横たわるガラスの伽藍、芝生では鳥たちが人を恐れることなく羽を休めている ─ まるでエデンを思わせる光景です。

鉄とガラス

古来より石やレンガを積み上げる組積造が主流だった建築は、19世紀前半、産業革命で大量生産が可能になった鉄とガラスによって大きく変化します。実は、その鉄とガラスを最初に取り入れた建築こそ温室なのです。温室建築が発達した背景には、熱帯地方の植物を寒冷なヨーロッパで生育させられる空間を持つことが、上流階級のステイタスだったことが挙げられます。とりわけイギリスは、世界各地に植民地を抱えている上に無類のガーデニング好きという国民性から、温室建築の技術が発達しました。19世紀前半に建設が始まった鉄とガラスの大温室は、キュー植物園のパーム ハウスでひとつの完成型に達したといえます。

クリスタル パレス
クリスタル パレス(ウィキペディア英語版から引用)

付け加えると、この時代のもうひとつの代表例がクリスタル パレス(水晶宮)です。クリスタル パレスは、第1回の万国博覧会であるロンドン万博のパビリオンとして、パーム ハウスから3年後の1851年、ロンドンのハイド パークに竣工しました。その大きさは長さ563m、幅124m、高さ31mというパーム ハウスを遙かに上回る大空間です。その技術力と、鉄とガラスの時代が到来したことを人々に示した影響力の点では、クリスタル パレスの方がより重要な建築といえるでしょう。ただ、残念ながらクリスタル パレスは火災で失われてしまいました。

技術者が主役に

先に、パーム ハウスを設計した二人のうちリチャード ターナーについては“技師”と述べましたが、これは古典様式の教育を受けた建築家ではないという意味を込めています。当初、組積造と全く異なる鉄骨造は従来の建築家の範疇になく、温室の設計・施工は専門技術者の仕事でした。つまり、温室建築をきっかけに、芸術家としての建築家ではない純粋な技術者がプロジェクトの中心的役割を担うようになったわけです。ちなみにクリスタル パレスを設計したジョセフ パクストン 註3 も技術者でした。

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デザインの理由

パーム ハウスの基本的な形はヴォールト型(カマボコ型)です。これだと最小限の部材によるシンプルな構造によって、柱のない大空間を造ることが可能です。ただ、ヴォールトが2段重ねになっている中央部には柱・梁があります。カゴのように桟が多いのは、小さなガラス板を大量に使っているからですが、当時の技術では大判のガラス板が製造できなかった、あるいは工場から現場へ輸送する手間や製造コストなどを総合的に考えてこのサイズになったと思われます 註4。また、竣工当時は緑色のガラスだったらしく 註5、今とはずいぶん印象が違っていたことでしょう。

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内部

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内部は、植物が生い茂って空間を見通せなかったのが(植物園なので当然ですが)建築ファンとしては残念なところです。構造物はほとんど無装飾ですが、外部の足回りや内部の柱頭、手すりなどに若干の装飾が施されています。通路の床にはグレーチング(金属製の格子)が敷かれており、床下の配管に熱水を通して暖房する仕組みになっています(現在もこの設備を使っているかは未確認)。
 
さらに、植物だけでなく地下に水族館まであったことには驚きました。世界中からあらゆるものを収集した探求心とそれを知らしめる啓蒙精神には感心するばかりです。
名称

パーム ハウス

Palm House

設計者

デシマス バートン + リチャード ターナー

Decimus Burton + Richard Turner

住所

イギリス ロンドン リッチモンド キュー王立植物園

Royal Botanical Gardens Richmond, Surrey TW9 3AB

用途

温室

竣工

1848年

構造

鉄骨造

交通

鉄道:District 線または North London 線の Kew Gardens 駅で下車、ヴィクトリア ゲートまで徒歩約10分

備考

世界遺産(植物園全体)


補註

  1. 20mとする本もあるが、現地案内板に19mと記されていたので本稿はそれに従った。
  2. 専門的には風景式庭園という。ある程度の審美眼がないと退屈に映るかもしれない。もちろん、技巧的な庭園も敷地内に複数存在する。
  3. ジョセフ パクストン Johseph Paxton(1803〜1865、イギリス)。庭師としてキャリアをスタートするが、エンジニアや実業家として幅広く活躍した。チャッツワースの庭園で多数の温室を手掛けている。
  4. 19世紀前半までのイギリスでは、ガラス製造業者に対して、生産したガラスの重量を表面積で換算した額の税金が課せられていた。これを低く抑えるには、小さくて薄いガラス板を用いることになる。よって、当時の温室は桟の数が増えてカゴのような外観になった。この税金は1845年に廃止される。税金のコストが下がったおかげで、より大きな温室の建設が促進された面はあるだろう。『人工楽園 19世紀の温室とウィンターガーデン』(鹿島出版会)74頁より。
  5. 『人工楽園 19世紀の温室とウィンターガーデン』(鹿島出版会)122頁

参考文献

  1. 『人工楽園 19世紀の温室とウィンターガーデン』シュテファン コッペルカム著、堀内正昭訳、鹿島出版会
  2. 『ロンドンの近現代建築』建築巡礼39、鵜飼哲矢、丸善

リンク

  1. キュー王立植物園 公式サイト日本語版
  2. 英国ニュースダイジェスト > 初心者でも楽しめる英国の花 キュー・ガーデン・ガイド
  3. アーバン・ガーデン・ウォッチング > 突然、ロンドンのキュー・ガーデンをウォッチング今日オープンの新しい施設をロンドンで体験緑の鼓動を聞いてみよう!というアートキューガーデンの父のお話:ジョセフ・バンクスキューガーデンの歩道橋温室を守るもの:キューガーデン、パームハウス
  4. ミュンヘンなんて、どこ吹く風 > キューガーデンの温室
  5. イギリスの片隅で庭仕事 > キュー・ガーデンズ1 パーム・ハウス
  6. キューガーデン水晶宮 ウィキペディア日本語版
  7. Royal Botanic Gardens, KewThe Crystal Palace ウィキペディア英語版

公開日:2013年9月14日、最終更新日:2013年9月14日、撮影時期:2004年9月
カメラ:Panasonic LUMIX DMC-FX1(Photoshopで修正)

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