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畑田団地

概要

福岡県住宅協会(現在の福岡県住宅供給公社)が団地の建設を開始したのは1950(昭和25)年のこと。畑田団地はその最初の団地のひとつである。記録上は昭和25年度の建設となっており、実際の竣工時期は昭和26年1〜3月の可能性もあるが、おおむね昭和25年の竣工と考えていいだろう。

場所は北九州市門司区(当時は門司市)の古い住宅街の奥地の斜面で、建設用地の確保に苦労したことが窺える。もっとも、低い家屋の街並みが広がっていた竣工当時、結果的に畑田団地の姿はよく目立っていたに違いない。

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住棟は中層と低層がそれぞれ1棟ずつ、戸数は34戸と小規模な団地だ。なお、低層棟は閉鎖されていて中層棟のみ現役である。その中層棟は公営住宅標準設計の49A型が採用されているが、本来このタイプは階段室が北側に位置する「北入り」の設計であるのに対し、畑田団地では南北を反転した南入りになっている。

屋上は物干し場などとして開放されている。このこと自体は戦後初期の団地でよく見られるが、塔屋の壁に格子状の開口部が設けられているのは畑田団地独自の特徴である。

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また、49A型の原設計でバルコニーとなっている部分を福岡県住宅協会は浴室に変更している。その開口部は居室のサッシに合わせているので、ほぼ水平連続窓で構成されたモダニズム色の強い立面が出現している。


一方、低層棟は資料に「CB」と記されているだけで平面などは分からない。もちろんCBとはコンクリートブロック造の意味だろう。筆者が訪れたときは既に住棟全体が閉鎖されていた。2階建てで、メゾネットではなくフラット住戸の階段室型、中層棟と同じく南入りだ。

傾斜地をヒナ壇状に造成した敷地の南側に中層棟が、北側に低層棟が配置され、低層棟には階段でしかアクセスできない。しかも、敷地北側で接する道路とも高低差がある上、その道路は狭い階段である。つまり、団地の敷地としては接道しているものの、低層棟自体は実質的に接道していないことになる。緊急車両が寄り付けないのは万一のときに困ると思うのだが、昭和25年当時はそこまで認識していなかったのか、あるいは傾斜地ゆえの苦肉の策だったのだろうか。

上の青マーカーが畑田団地


49A型平面図

49A型平面図(『福岡県住宅復興誌 I 』から引用)

データ

住所:福岡県北九州市門司区畑田町3
竣工:1950(昭和25)年度
撮影:2006(平成18)年5月、2008(平成20)年1月、2010(平成22)年2月

参考文献

『福岡県住宅復興誌 I 』福岡県住宅復興促進協議会

作成日:2013/6/20、最終更新日:同左

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