阿佐ヶ谷住宅
3つの特徴
阿佐ヶ谷住宅は東京都杉並区に1958(昭和33)年に竣工した日本住宅公団(現UR)の団地である。総戸数は350戸と比較的中規模な団地で、全戸が賃貸ではなく分譲として供給された。数ある公団住宅の中でも阿佐ヶ谷住宅は特に高い評価を受けていて、建築界や団地ファン以外の人々にも愛されている。それほどの人気を集めているのは、他の団地に見られない特徴がいくつもあるからだが、本稿では(1)配置計画 (2)コモン (3)前川テラスの3点を軸に論じることにする。
国土交通省 国土画像情報から引用(撮影 1984・昭和59年度)
配置計画
コモン
このように配置やコモンが特徴的な阿佐ヶ谷住宅の設計は津端修一氏を中心に行われた。津端氏は1951(昭和26)年に東大建築学科を卒業後、アントニン レーモンドと坂倉準三の事務所を経て公団に入り、阿佐ヶ谷住宅をはじめ多摩平団地や赤羽台団地、高蔵寺ニュータウンといった団地を手掛けている。
前川テラスと他の住棟
左:前川テラス、右:公団テラス
前川國男氏は戦前〜戦後に活躍した我が国を代表する建築家の一人で、ル コルビュジエとレーモンドの事務所を経て独立し、文化施設からオフィスビルまで多数の建築を設計。集合住宅では、阿佐ヶ谷住宅と同時期に手掛けた公団の晴海高層アパートが特に有名である。また、実務担当者の大高正人氏は東大建築学科・同大学院を卒業後、前川事務所に入所して阿佐ヶ谷住宅などを担当。独立後はメタボリズムという建築運動を行いながら、集合住宅では 坂出人工土地や 基町高層アパートを設計する。
“奇跡の団地”
1955(昭和30)年に発足した公団は、その初期においてはテラスハウスやスターハウスといった住棟を積極的に採用し、比較的低密度の団地や多様な景観の団地も建設していた。組織発足当初の自由闊達な環境で、意欲的な若手設計者が存分に腕をふるうことができた。しかし、国から住宅の大量供給を求められると、次第に低層低密度で広いコモンを持つような団地は困難になってゆく。1970〜80年代に低層・コモンが復権した時期はあったものの、1990年代以降の集合住宅は“超”が付く高層高密度の時代を迎えることになる。
つまり、阿佐ヶ谷住宅とは、公団発足当初のみ成立した自由な空気と、その時期そこに優秀な設計者が居合わせたというタイミングの産物といっても過言ではない。しかも、その設計者はコルビュジエやレーモンドという建築界の巨匠に師事している。こんな巡り合わせは二度とないだろう。過度な神格化は気を付けたいが、こうした背景を考えると阿佐ヶ谷住宅を“奇跡の団地”と評する声もうなずける。
もうすぐ解体
竣工から半世紀が経過した阿佐ヶ谷住宅は再開発計画が立てられたが、その内容を巡り反対運動が起こったために計画はストップ。筆者が訪れた2006(平成18)年は、住民の退去が進んで閉鎖された住棟が目立った一方、まだ住んでいる人々もそれなりにいるという状況だった。ネットで収集した情報によると、2013(平成25)年6月現在、解体工事が行われている。
データ
住所:東京都杉並区成田東4
設計:前川國男・大高正人 / 前川國男建築設計事務所 + 津端修一 / 日本住宅公団 他
竣工:1958(昭和33)年
撮影:2006(平成18)年11月
備考:2013(平成25)年5月から解体工事に着手
リンク
参考文献
- 『奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅』三浦展・大月敏雄・志岐祐一・松本真澄、王国社
- 『世界一美しい団地図鑑』志岐祐一・内田青蔵・安野彰・渡邉祐子、エクスナレッジ
- 『集合住宅物語』上田実、みすず書房
- 『住宅建築』1996年4月号、シリーズ 集まって住む風景1「阿佐ヶ谷住宅物語 テラスハウスの初心」東京理科大学初見研究室、建築資料研究社
作成日:2013/3/23、最終更新日:2013/6/20