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下関三井化学 宮の前アパート

概要

山口県下関市の彦島は、関門海峡の日本海側に位置する島だ。地図を一見すると本州と地続きに思えるだろうが、実際は河川のような細長い海峡で本土と隔てられている。同島には、神戸市を拠点とする総合商社の鈴木商店などが戦前に工業地帯を建設。鈴木商店は1927(昭和2)年に破綻するが、他の企業が引き継いで各工場は現在も操業を続けている。

下関三井化学は、1922(大正11)年に鈴木商店が設立したクロード式窒素工業というクロード法によるアンモニア製造工場を発端とする。鈴木商店の破綻後、工場の経営企業は合成工業 → 東洋東圧工業 → 三井東圧化学 → 三井化学と変遷し、2000(平成12)年に下関三井化学として分社化、現在に至る。本稿で紹介する社宅は、東洋東圧工業から三井東圧化学の時期にかけて建設されたと思われるが、記事の名称には本稿執筆時点(2014・平成26年)における企業名を用いた。

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左:第1〜3棟、右:第4〜6棟

宮の前アパートは、鉄筋コンクリート造の板状住棟6棟で構成され、北西から南東へと敷地の中心を貫く道路の左右に3棟ずつ並んでいる。つまり、バルコニーを南東に向けた平行配置だ。そのうち、北東側の第1~3棟は3階建てで、南西側の第4~6棟は5階建て。第4~6棟については、1969(昭和44)年と1973(昭和48)年の竣工を記した銘板を現地で確認しており、工場が三井東圧化学だった時期に順次建設されたと分かる(1968・昭和43年、東洋高圧工業が三井化学工業を吸収合併し、三井東圧化学株式会社に商号変更。ウィキペディアの「三井化学」より)。両端のバルコニーに付いている避難用のタラップは、昔の集合住宅ならではの特徴だ。

一方、第1~3棟は銘板類がなかったので竣工年は未確認だが、外観から昭和20〜30年代である可能性が高い。屋上に出られる点や、バルコニーの使い道がサービス用に限定されている点に、昭和20年代の公営住宅標準設計の影響が見受けられる。

また、1970年代の航空写真には社宅らしき木造長屋もたくさん写っており、工場周辺が一大社宅街だったことが分かる。当時の木造長屋も若干残っているが、そちらは別の機会に紹介したい。

データ

住所:山口県下関市彦島迫町5
竣工:第1〜3棟 昭和20〜30年代か?、第4〜6棟 1969〜1973(昭和44〜48)年
撮影:2006(平成18)年9月

作成日:2014/7/16、最終更新日:同左

左から彦島製錬社宅、宮の前アパート

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