祇園ビル(祇園マーケット)
概要
祇園ビルは、博多区の上川端商店街のキャナルシティ側出入口にある建物だ。国道202号線(国体道路)に面しているので見覚えがある方も多いだろう。鉄筋コンクリート造の3階建にペントハウスが載り、1階には「祇園マーケット」という名前の市場が、上階には住戸が入っている。いわゆるゲタバキアパートである。
竣工年は文献資料での裏付けは取れていないが、地元自治会のサイトに載っている「昭和25年」でほぼ間違いないだろう(下記リンク先参照)。ということは、福岡市に現存する集合住宅としては、福岡県が1949(昭和24)年に建てた店屋町ビル(博多区店屋町)に次ぐ2番目に古いものとなる。戦後の混乱が続く昭和20年代当時、RC造集合住宅は一部の自治体や住宅協会の団地、大手製造業の社宅等の建設が始まったばかりであり、このような民間物件は珍しい。建物の設計者は不明だが、施主は外地からの引き揚げ者が設立した祇園ビル商業協同組合とのこと。戦後、ヤミ市を収容する市場建築が東京などの大都市に建設されていたので、祇園ビルもその系統の建物といえるのではないだろうか。
建物は、細長い三角形の敷地全体を埋め尽くす形で建っていて(ただし、敷地東端には別の建物が隣接)、中央に三角形の吹き抜けがある。よって、街区型建築と言えないこともない。全体的には無装飾だが、縦長の開口部を多用して垂直性を強調したり、交差点側にペントハウスを設けて塔屋風に見せている点は、戦後建築にしては少々古くさいデザインだ。また、テナントの庇に覆われてほとんど見えないが、1階の外壁はモザイクタイル貼になっている。
2〜3階は、吹き抜けの周りを廊下が巡り、外周部に沿って住戸が並んでいる。壁・柱には排水が不十分なせいかコケやカビが繁殖し、建物のメンテナンスが行き届いていないことや廊下に生活雑貨が散乱していることもあって、いささか魔窟めいた雰囲気が漂う。もともと吹き抜けに屋根は無かったが、雨水の流入を防ぐために簡素な屋根を架けている。もっとも、これは通風・換気と引き替えにした措置に過ぎない。廊下に面する住戸のドアや窓は木製だが、その外側にもうひとつ防火・防犯用と見られる鋼製建具が付いている。昔の集合住宅でこのような事例は初めて見た。
1階の各店舗とその直上にある2・3階住戸とは内部階段で繋がっているのだそうだ。つまり、住戸内部の階段に加えて共用の階段と廊下もあって2・3階それぞれに玄関があるという、建築計画的に珍しい設計となっている。商売の妨げにならないよう住宅専用の出入口を設けるのは分かるが、それなら2階から地上への動線を確保すれば事足りる。3階にも共用廊下と階段を設置した理由は確認できていないが、コストをかけてまでそうしたからには、2・3階住戸を別々に貸すことも想定していたと考えるのが妥当ではないか。だとすると、戦後の住宅難を反映した設計といえよう。
データ
住所:福岡市博多区上川端町2
竣工:1950(昭和25)年
撮影:2010(平成22)年2月・7月、2011(平成23)年11月
参考文献
- 『FUKUOKA STYLE』Vol.4 特集:都市の住まいかた、福博綜合印刷
リンク
作成日:2012/8/28、最終更新日:2012/9/1