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産業ふれあい館

概要

大小多数の炭鉱が林立した福岡県筑豊地方の中でも田川炭鉱は代表的な存在だった。同鉱は1964(昭和39)年に閉山、坑口のひとつ伊田坑は第二会社の田川鉱業が引き継いだものの、それも1969(昭和44)年に閉山した。伊田坑は竪坑櫓1基と煙突2本以外の施設は解体されて、跡地は石炭記念公園として整備、その一画に田川市石炭資料館(後に田川市石炭・歴史博物館と改称)が建てられた。同館の屋外展示スペースに産業ふれあい館がオープンしたのは1996(平成8)年のことである。

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産業ふれあい館 平面図

産業ふれあい館は基本的には「炭鉱都市から新産業都市への変換をテーマにした展示」(博物館公式サイト)を行う施設で、現地の銘板から旧・通産省の補助事業だったと分かる。ところが外観はどう見ても炭鉱住宅そのもの。つまり、これは炭鉱住宅の復元と展示・研修施設の設置というふたつの目的を兼ねた建築物なのである。とはいえ、来場者の関心はほとんど炭鉱住宅側に集まるわけで、本稿も炭鉱住宅の復元として詳述する。

産業ふれあい館は木造長屋2棟で構成され、これに洗濯場の建屋が付属する。炭鉱住宅(炭住)は時代の変遷とともに平面(間取り)や仕様が進化するのだが、長屋の1棟は明治・大正期の炭住、もう1棟は昭和期の炭住の外観と平面がそれぞれ復元されている(右上の平面図参照)。ただし、建設時期の異なる炭住を合体させたり、展示・研修室を併設しているので、建築学的に正確な復元とはいい難い。その点にやや不満が残るが、補助金の制約から仕方ないだろう。もちろん本物の炭鉱住宅を保存するのが理想的であり、市内の松原炭鉱住宅の保存を望む意見もあったが、実現に至らなかった。
 
炭住は田川市内における標準的なタイプと思われる(特に説明はなし)。少なくとも住戸内部の再現度は高く、一見の価値がある。
 

データ

住所:福岡県田川市大字伊田2734-1(田川市石炭・歴史博物館敷地内)
竣工:1996(平成8)年
撮影:2005(平成17)年6月、2014(平成26)年2月

リンク

  1. 田川市石炭・歴史博物館博物館案内産業ふれあい館

 
作成日:2014/6/3、最終更新日:同左

左から松原炭鉱住宅、田川炭鉱伊田坑

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