タイトルロゴ

Get the flash player here: http://www.adobe.com/flashplayer

スライドショー 15枚(写真をクリックすると次を表示、下辺にマウスカーソルを合わせるとサムネイルを表示します)

志免炭鉱の舎宅

概要

戦前は海軍、戦後は国鉄の経営だったため、志免炭鉱における労働者の住宅は「社宅」ではなく「舎宅」と呼ばれた。舎宅街は竪坑櫓(5坑)とボタ山の南側、つまりおおむね5坑から6坑(現在の須恵高校付近)にかけて広がっていた。この一帯は志免町と須恵町にまたがっている。

多くの舎宅が既に建て替えられ、舎宅街は普通の住宅地に変貌したが、まだ何棟かは現存する。特に旭ヶ丘舎宅(現在の須恵町大字旅石170〜253付近)は見つけやすい。道路や街区はほぼ当時のままで、舎宅街のメインストリートはボタ山に向かっている。炭住とボタ山の組み合わせが今なお見られるとは貴重な光景ではなかろうか。

旭ヶ丘地区には共同浴場や配給所、そして旭ヶ丘アパートと桜ヶ丘アパートという共同住宅もあったが、いずれも現存しない。ふたつのアパートは戦前は朝鮮人労働者が、戦後は引き揚げ者が住んでいた。旭ヶ丘アパートは現在の須恵町勤労者体育センター付近、桜ヶ丘アパートは某医院付近にあった。

データ

住所:福岡県糟屋郡須恵町大字旅石
撮影:2011(平成23)年12月

参考文献

  1. 『志免鉱業所舎宅調査報告書』志免町教育委員会

リンク

  1. 読売新聞 九州発昭和39年九州発志免炭住

作成日:2013/2/2、最終更新日:同左

inserted by FC2 system