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勝田炭鉱

概要

勝田炭鉱は、福岡県糟屋郡宇美町にあった糟屋炭田における大手炭鉱である。三菱鉱業の社史によると、1910(明治43)年に清水勝次がこの鉱区を買い取り、自分の名前から字を採って勝田炭鉱と命名。所有者の変遷を経て1937(昭和12)年に三菱鉱業のものとなる(リンク1・2)。1948(昭和23)年6月18日、ガス爆発事故が発生して62名が死亡(リンク6)。1963(昭和38)年に閉山した。

勝田炭鉱の遺構としては、宇美町平和1の川沿いのガソリンスタンド裏に残るコンクリート構造物がまず挙げられる。急斜面にホッパーや片持ち梁などが残っていて、閉山後に設けられた公共の階段から遺構を間近に見ることができる。トライスターさんのブログ(リンク1)や、終戦直後の米軍の航空写真(リンク7 マーカー1)から判断すると、斜面の上の住宅地に竪坑櫓や選炭施設が、ガソリンスタンド周辺に積み込み施設があったようだ。勝田線からの引込線が積み込み施設まで延びており、ここで貨車に石炭を積んで出荷していた。他に、ボタ運搬線が少なくとも2本あった。これらの鉄道関係は「 勝田炭鉱引込線・ボタ運搬線」で詳述する。

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さらに、この遺構から南に離れた宇美町原田3の県道68号線沿いに、もうひとつの遺構が存在する。道路からレンガ造の橋脚らしき構造物が目視できる他、筆者は見ていないが藪の中にレンガ造やコンクリート造の遺構がある(リンク1・4・5)。『福岡の近代化遺産』では日の丸炭鉱の遺構だと述べているが、トライスターさんの調査によると勝田炭鉱の一部である可能性が高い。最寄りのバス停が「勝田」で、「日の丸」バス停は県道を東に数百m進んだ位置にあることも、勝田炭鉱説を示すものといえる。

このレンガ遺構は、斜坑口から地上に出ていたトロッコ軌道の高架橋脚らしい。坑口と巻上機台座との間に道路と線路(勝田線)が通っていて、立体交差しなければならなかったので高架が建設されたと見られる。米軍の航空写真(リンク7 マーカー8)をよく見ると確かに高架軌道が写っている。地図右下のマーカー付近と航空写真の道路線形を照合すると、位置が特定できるだろう。

マーカー水色:上から勝田炭鉱のコンクリート遺構、レンガ遺構
マーカー青:左からボタ運搬線の橋脚、炭鉱住宅街
ライン紫:引込線、青:ボタ運搬線、赤:勝田線

データ

住所:福岡県糟屋郡宇美町平和1(コンクリート遺構)、宇美町原田3-6(レンガ遺構)
竣工:不明
撮影:2009(平成21)年12月

参考文献

  1. 『福岡の近代化遺産』九州産業考古学会、弦書房

リンク

  1. トライスターの炭鉱と廃線と廃墟の放浪日記三菱勝田鉱業所(三菱勝田炭鉱)同 その2三菱勝田炭鉱
  2. ツルハシさんのブログ三菱鉱業(株)勝田 炭鉱 (糟屋郡)三菱鉱業(株)勝田 炭鉱2(詳細)
  3. くうねるあそぶ♪~NO RUINS,NO LIFE. ~宇美町の炭鉱遺構(三菱勝田炭鉱運炭線と観音or日の丸炭鉱?巻き上げ台座)
  4. あれなん北部九州炭鉱遺構調査団(仮)に参加
  5. 日本石炭公団第一鉱業所九州の炭鉱福岡県の炭鉱三菱勝田炭鉱
  6. NHK戦争証言アーカイブス日本ニュース 戦後編 第129号 公開日 1948年(昭和23年)6月29日
  7. 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス勝田炭鉱周辺を表示 > マーカー1 高解像度表示 USA-R236-No2-39(1948・S23)、マーカー8 高解像度表示 USA-R236-No2-61(1948・S23)


作成日:2014/4/6、最終更新日:同左

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