明治佐賀炭鉱
概要
明治佐賀炭鉱は多久市で操業していた炭鉱。同市内の三菱古賀山炭鉱と共に唐津炭田の主要炭鉱のひとつだった。現在その跡地はコンクリート製品の工場になっているが、外部から目視する限りでは少なくとも2基のホッパーが残っている。ホッパーは工場の建物・設備と一体化しているように見受けられる。
ホッパーの背後に広がるゴルフ場はボタ山を造成したもの。工場に通じる道路は、多久駅からホッパーに延びていた引き込み線の廃線跡である。その他、私は未見だがどこかに坑口も残っているようだ。
炭鉱名の「明治」とは大手の炭鉱企業だった明治鉱業のことと思われる。これは福岡県出身の実業家 安川敬一郎が設立した会社で、九州と北海道で炭鉱を経営していた。安川家は福岡県の炭鉱で財を成した地方財閥、いわゆる「筑豊御三家」のひとつである。
データ
住所:佐賀県多久市北多久町
撮影:2009(平成21)年5月
リンク
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