三池炭鉱 三川坑
概要
福岡県大牟田市を中心とする三池炭鉱には複数の坑口がある。ただ、明治時代に開坑した宮原坑や万田坑が重要文化財として保存されている一方、放置や解体された坑口も多い。三川坑も長年放置されて一部は解体されてしまった。しかし、三池炭鉱の遺構群では比較的現存状態が良い方である。
三川坑は1937(昭和12)年に開削に着手、1940(昭和15)年までに長さ2,050mの斜坑2本が有明海の海底下の坑底に到達し、同年に出炭が始まった。以来、三池炭鉱の主力坑として1997(平成9)年の閉山まで操業を続けた。
「総資本対総労働」といわれる大規模労働争議に発展した1959〜60(昭和34〜35)年の三池争議で三川坑は主戦場となった。そして1963(昭和38)年の三川坑炭塵爆発事故では458名の死者と675名の重傷者を出し、839名のCO中毒患者が後遺症に苦しむことになる。光と影の歴史を背負った三川坑なくして三池炭鉱の歴史は語れない。
1997(平成9)年の閉山後、三川坑は立ち入り禁止のまま放置されていたが、2012(平成24)年11月に初めて一般公開された。本稿の写真はこのときの撮影である。安全対策のため建物内部には入れず、外観のみの見学だった。見学ルートから確認できた遺構は下記の通り。
正門
事務所
機械・電気・採掘調査
日本庭園
入昇坑口
渡り廊下
繰込場
職員浴場
コンプレッサー室
第一斜坑の巻揚機室
第二斜坑の軌道
第二斜坑の坑口
人車
大山祇神社の鳥居
データ
住所:福岡県大牟田市西港町
竣工:1940(昭和15)年
撮影:2012(平成24)年11月
リンク
参考文献
- 『筑後の近代化遺産』九州産業考古学会筑後調査班、弦書房
- 現地の説明パネル
作成日:2013/1/1、最終更新日:同左