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篠栗町の炭鉱

概要

福岡市の東に位置する糟屋郡は、かつて糟屋炭田という炭鉱地帯だったところで、有名な志免炭鉱をはじめ、いくつもの中小炭鉱が操業していた。本稿で紹介するのは同郡の篠栗(ささぐり)町にある炭鉱遺構だ。篠栗町には高田炭鉱や篠栗炭鉱など複数の炭鉱があったが、この遺構の炭鉱名は判明しておらず、とりあえず「篠栗町の炭鉱」と呼ぶことにする。個人住宅の敷地内にあるため、正確な場所は伏せるが、おおむね右の地図の薄いブルーの範囲内に存在する。現地を訪れたい方は、地図と写真から位置を推測してほしい。なお、遺構の所有者や近所の方々の迷惑にならぬよう十分注意していただきたい。

遺構は6本の脚とアーチによって支えられたレンガ造の矩形構造物で、形状から巻上機台座と思われる。炭鉱名が分からない以上は竣工年も不明だが、レンガ造ということは明治~大正時代の建設ではなかろうか。ユニークなことに、現在は個人住宅に再利用されており、上部の小屋は明らかに後年の増築だ。もっとも、これが巻上機台座なら現役時代も巻上機を覆うための小屋が載っていた可能性が高く、今も昔も外観はたいして変わらないのかもしれない。米軍が1947(昭和22)年に撮影した航空写真(リンク1)を見ると、確かにこの遺構付近に炭鉱や社宅らしきものが写っているが、この撮影時点で操業していたかどうかを含め、詳細は確認できない。篠栗町歴史民俗資料室に展示されている町内の炭鉱写真にも、この遺構は写っていなかった。

photo01
ところで、掘り出した石炭はどうやって出荷していたのだろうか。近くを通る 篠栗線はそもそも石炭輸送路線として建設されたのだから、これを利用したと考えるのが妥当である(篠栗駅の開業は1904・明治37年)。だとすると、確証はないが、篠栗駅から遺構付近まで延びる直線道路(右の写真、米軍の写真にも写っている)は、坑口〜篠栗駅間の運炭線の跡ではなかろうか。ちなみに、篠栗駅から北に延びる道路は、高田炭鉱の運炭線だったことが分かっている(リンク2)。これも米軍の写真で確認できる。

データ

住所:福岡県糟屋郡篠栗町篠栗
竣工:明治〜大正時代と推定
撮影:2014(平成26)年2月

リンク

  1. 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス篠栗駅周辺を表示 > マーカー1 高解像度表示 USA-M121-13
  2. トライスターの炭鉱と廃線と廃墟の放浪日記明治高田炭鉱
  3. くうねるあそぶ♪~NO RUINS,NO LIFE. ~篠栗町の炭鉱い~ろいろ


作成日:2014/4/3、最終更新日:同左

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