飯塚市潤野の炭鉱
概要
福岡県飯塚市の潤野(うるの)地区、ひよこ飯塚工場の裏付近に、炭鉱遺構と思われる構造物が残っている。炭鉱名については、筑豊の炭鉱にお詳しい「ちくまえ」さんは牟田炭鉱ではないかと推測されている(下記リンク先参照)。牟田炭鉱は、後に有力な炭鉱主となる伊藤伝右衛門が若い頃に開発し、成功するきっかけになったといわれている。この遺構の近くに「牟田」というバス停があるので、おおよそこの付近に牟田炭鉱があったと考えられ、だとするとこれが同炭鉱の遺構の可能性は十分ある。
遺構は矩形で、草木に隠れて分かりにくいが両端に開口部があり、内部は細長い空洞になっている。機能は外観から判断すると巻上機台座の可能性が高い。構造は大部分がレンガ造だが、空き地と反対側の側面および上部にはコンクリート造の部分もある。このうち、側面はコンクリートの粗骨材が集まったジャンカという施工不良の状態というか、より正確に述べると、レンガ積みとコンクリートが何故かごちゃまぜになっている。
一方、これに比べると上部のコンクリートは施工水準が高い。上面の撮影に成功したちくまえさんによると上部は貯水槽らしい。筆者が内部に入って確認したところ、天井はほぼ平滑なコンクリート面だった。ところで、他の炭鉱の巻上機台座は脚部・上部ともレンガ造による一体的構造の場合が多い(例:飯塚炭鉱、峰地炭鉱第3坑)。よって、潤野の遺構の上部は、巻上機台座から貯水槽へ用途変更した際、もともとレンガ造だった部分を撤去し、改めてコンクリートを打設した可能性が考えられる。ただ、これはあくまでも筆者の推測に過ぎない。
データ
住所:福岡県飯塚市潤野
竣工:明治〜大正時代と推定
撮影:2010(平成22)年1月
リンク
- あれなん > 伊藤伝右衛門と牟田炭鉱、牟田炭鉱??煉瓦遺構とその周辺 ちくまえさんのブログ
- 伊藤伝右衛門 ウィキペディア
作成日:2013/9/16、最終更新日:同左