小ヶ倉陸揚庫
概要
日本で最初の海底通信ケーブルは、デンマークの大北電信会社によって長崎〜上海と長崎〜ウラジオストックの間に敷設され、1871(明治4)年に通信業務が始まった。小ヶ倉陸揚庫は、その海底ケーブルの陸揚場所に造られた施設である。もちろん今は使われていない。なお、現在の場所は建設当時の敷地ではない。後年の港湾開発で小ヶ倉陸揚庫の敷地が造成されることになり、移築されている。
小ヶ倉陸揚庫は要するに通信設備を収めるものであり、建物自体は矩形の平面に瓦葺きの寄せ棟屋根というシンプルなものだ。ところが、奇妙なことに建物の真ん中でレンガと石の壁面がきれいに分かれている。調べた範囲では増築の記述は見つからなかったので、最初からこのデザインだったようだが、なぜわざわざ2種類の建材を用いたのか、機能上の理由があるのか純粋な意匠なのか、まったく分からない。
我が国に現存する最古のレンガ建築は、1868(明治元)年に竣工した長崎市の小菅修船場だが、その3年後に建てられた小ヶ倉陸揚庫も最古級のレンガ建築として貴重な遺構だ。この当時のレンガは、現在の規格より小さくて扁平ないわゆる「コンニャクレンガ」である。また、レンガの表面には製造所を示す刻印が刻まれている。筆者がざっと目視したところ5種類を確認したが、研究者の調査によると小ヶ倉陸揚庫には18種類の刻印があるそうだ(下記リンク先参照)。
本稿の掲載写真では敷地内は雑然としているが、筆者の訪問後に清掃や草刈りが行われてきれいになっている。
データ
住所:長崎市小ヶ倉町3-76-44
竣工:1871(明治4)年頃
撮影:2009(平成21)年12月、2010(平成22)年2月
リンク
- 長崎市 文化財・郷土芸能 > 国際海底電線小ヶ倉陸揚庫
- NBC長崎放送 スキッピーブログ > 2/23 長崎、ことはじめ。
- 長崎大学付属図書館 > 学術研究成果リポジトリ > 「長崎地域における蒟蒻赤煉瓦にみる刻印の様相」富山哲之
作成日:2013/5/19、最終更新日:同左