広島平和記念資料館
概要
広島平和記念資料館は、広島市に落とされた原爆の惨禍を後世に伝えるため、同市の平和公園に建てられた施設である。毎年8月6日に開催される平和記念式典のニュースなどで見覚えある方も多いだろう。原爆ドームとともに“ヒロシマ”を象徴する建築だ。1955(昭和30)年に竣工した本館(当時の名称は広島平和会館原爆記念陳列館)の他、両側には後年に竣工した東館と国際会議場があって、これらは渡り廊下で繋がっている(資料館は本館と東館で構成)。本来は3棟の配置計画の特徴についても説明すべきなのだが、筆者が東館と国際会議場の写真をほとんど撮っていないので、本稿は本館(以下、資料館)を中心に述べることにする。
資料館の設計者はコンペによって丹下健三氏が選ばれた。丹下案は、建築自体のデザインもさることながら、原爆ドームと軸線を結んでいる点が他の案よりも圧倒的に優れていた。訪問者の多くは原爆ドーム側からアクセスすると思うが、現地を訪れたらぜひ反対側、つまり平和大通り側にも回ってほしい。資料館のピロティを通して同館と慰霊碑・原爆ドームが一直線に並んでいることに気付くはずだ。
資料館は鉄筋コンクリート造の2階建て。1階はピロティの吹きさらしで、展示空間は2階にある。矩形のボリュームを柱で持ち上げたような格好だ。打ち放しコンクリート、ピロティ、ブリーズ ソレイユ(ルーバー)といった要素からル コルビュジエの影響は明白だが、コルビュジエの建築に感じる力強さに対して、資料館は繊細な印象を受ける。また、モダニズム建築では定番の手法であるピロティにしても、広島平和記念資料館ほど有効に機能している事例はそうないだろう。筆者は8月6日に訪問し、世界中の人々がこのピロティに集っている様子を見て、「平和を創る工場」という丹下氏の言葉を実感した。
竣工直後から広島平和記念資料館のデザインは国内外で高く評価された。丹下氏の出世作というだけでなく、日本の戦後建築の実質的な出発点でもある。2006(平成18)年には、同じく広島市にある世界平和記念聖堂(村野藤吾、1954・S29)とともに、戦後建築としては初めて国の重要文化財に指定されている(本館のみ)。
データ
住所:広島市中区中島町1-2
設計:丹下健三
竣工:1955(昭和30)年
撮影:2006(平成18)年8月
備考:国指定重要文化財
リンク
作成日:2013/8/6、最終更新日:同左