筑後市津島の橋梁跡
概要
鹿児島本線の筑後船小屋(ちくごふなごや)駅は、現在の駅舎の北約500mの地点にあった船小屋駅が、2011(平成23)年の九州新幹線開業に合わせて移転・改称したものである。福岡県の久留米市から筑後市にかけては鹿児島本線と九州新幹線が併走しており、両路線の筑後船小屋駅は隣り合って建っている。それぞれ独立した建物で、乗り換えるには一旦改札口を出る必要があるものの、駅としては両者でひとつの扱いになっている。
筑後船小屋駅の周辺には福岡県営筑後広域公園が広がっている。いや、むしろ公園の中に駅があると見た方が適切だろう。同公園は2005(平成17)年に一部供用が始まり、本稿執筆時も整備事業が進行中である。矢部川ともうひとつの河川(名称未確認)に挟まれたエリアを中心に広がっていて、面積は60万㎡を超える(リンク1)。
ところで、スライドショーの1枚目を見ると分かるように、公園内の鹿児島本線の軌道に平行して旧線の築堤と橋梁の跡が残っている。周囲の状況から推測すると、矢部川橋梁を架け替えるにあたり、古い橋の隣に新しい橋を建設したため、その両岸の一定部分も横に移動したようだ。現在の矢部川橋梁は1964(昭和39)年の竣工(リンク2)なので、その頃に旧線から新線に切り替わったと思われる(注意:写真右奥のアーチは道路橋)。
もともと筆者は別件で公園内のある施設を訪問し、旧線については把握していなかった。施設見学を終え、日が暮れる直前に旧線の橋梁跡を見つけて取り急ぎ撮影したという次第であり、画質がよくないのはご容赦いただきたい。また、すぐ近くに現存するレンガアーチの旧橋(リンク3)は見落としてしまった。これらはいずれ改めて撮影するつもりだ。
さて、ようやく本題に入ると、この橋梁跡は前述した「もうひとつの河川」に架かっていたもので、橋脚と橋台が残っている。名称は未確認。隣の現役橋梁の銘板は汚れていて判読できなかった。便宜上、地名から「筑後市津島の橋梁」と表記する。筑後船小屋駅付近は1891(明治24)年に久留米駅〜高瀬駅(現・玉名駅)間が単線で開通した区間に含まれており(旧・船小屋駅は1928・昭和3年の開設)、現に遺構が単線幅であることから、これは高瀬駅まで開通した頃の建設と考えていいだろう。架け替えで役目を終えたまま残っている鉄道橋梁の遺構は少なくないが、こんな地味な構造物が公園の点景に活用されたのは珍しいのではなかろうか。
橋脚・橋台ともレンガ造。橋脚の水上側が山型、コーナーは石積みという点も含め、鹿児島本線の初期の橋梁としては標準的なデザインである。
データ
住所:福岡県筑後市津島
竣工:1891(明治24)年頃
撮影:2014(平成26)年1月
リンク
- 県営筑後広域公園
- 国土交通省 九州地方整備局 筑後川河川事務所 > 川の資料室 > 土木施設 > 矢部川の橋
- 石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 > 鉄道煉瓦橋梁 > 鹿児島本線 > 福岡県 矢部川避溢橋梁
作成日:2014/3/9、最終更新日:同左