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西戸崎のレンガ遺構

概要

香椎線 西戸崎駅〜海ノ中道駅間が博多湾沿いを通る部分に奇妙なレンガ構造物がある。筆者は、駐留米軍の遺構を調査しているブログ「Kasuga Theater カスガシアター」の記事(リンク1)でこれを知り、さっそく現地を訪れた。

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レンガ構造物は香椎線の擁壁から突き出すように建っている。Blue Fieldさんが現地調査から図面を起こして考察されているように(リンク2)、この構造物は橋梁の可能性が高いと筆者も考えている。しかし、橋梁だとすると下を水路が通っているはずだが、内部を覗くと擁壁で塞がっている上、底部を梁が横切っており、これでは水が流れない。

一応、これらの疑問は次のように説明できるだろう。擁壁は後年に水路が廃止されて開口部がコンクリートで覆われたと考えられる。レンガ構造物が擁壁にめり込んでいることも、擁壁のコンクリート被覆が後年の施工であることを裏付けている。底部の梁については、Blue Fieldさんは洗屈(波で地盤が洗い流される)を防止する支保工ではないかと推測されている。この場合、梁の内側に排水が溜まるのは仕方ないと割り切っていることになる。
さて、橋梁か否かはともかく、なぜ既存の軌道から突き出した位置にこのような構造物が存在するのだろうか。理由としては(1)側線を設置する計画があって構造物を先に造ったところで中止になった (2)昔あった側線を撤去して構造物だけ残った (3)本線が横に移動して構造物だけ残った、が考えられる。

最も可能性が高いのは(1)だろう。香椎線は石炭積出港の西戸崎に石炭を運ぶ路線で、炭鉱全盛期の西戸崎駅には側線があったはず。構造物は駅からやや離れているが、この位置に側線が計画されても不自然ではない。(2)か(3)だとすると、何らかの記録なり、他の遺構が残っていてもおかしくないが、そのような証拠は見つかっていない。第一、廃線は放置すれば済む話であり、わざわざ撤去した上で一部の構造物だけ残したりするだろうか。なお、周囲には役割を失ったコンクリートの護岸らしきものや排水管、電柱(街路灯?)が残っているが、香椎線との関係は不明である。戦後、この地域に駐留していた米軍関係のものかもしれない。

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次に建設年代を考察しておきたい。仮に香椎線が開業した1904(明治37)年にこの構造物も造られたとすると、上部のコンクリートスラブの説明が難しくなる。明治時代のコンクリート建造物はごく少数の事例に限られていて、地方路線の小さな構造物にまで用いたとは考えにくいのだ。したがって、可能性としては(a)開業時に構造物が造られたときは鋼桁で、後年にコンクリートスラブに架け替えられた (b)この構造物はコンクリートが普及した大正時代以降に造られた、のいずれかだろう。

筆者は(b)の可能性が高いと考えている。(a)だとすると、上記(1)=側線の中止説だった場合、無用の長物となった構造物に手を加える理由が無いからだ。塩害のおそれがあるのに鋼桁を採用するだろうか、という疑問もある。ただし、正面から見ると分かるように、不動沈下した橋台に合わせてスラブを施工していることから架け替え説も排除できない。そもそも、これほどスパンが小さいのになぜアーチ構造にしなかったのか、アーチの不採用とこの構造物の用途に関連性はあるのか、ということも気になるのだが。

データ

住所:福岡市東区大字西戸崎
竣工:不明
撮影:2006(平成18)年7月

リンク

  1. Kasuga Theater海ノ中道CH&BAB vol.6 ごみ焼却炉?跡
  2. くうねるあそぶ♪〜NO RUINS,NO LIFE.〜西戸崎のレンガ遺構


作成日:2012/9/17、最終更新日:同左

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