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スライドショー 28枚

早鐘踏切〜諏訪川橋梁

概要

本稿では三池炭鉱専用鉄道(三池鉄道)の廃線跡のうち、早鐘踏切跡から諏訪川橋梁までの状況を紹介する。この区間でまず見ておきたいのは早鐘踏切跡の北側(宮浦操車場方向)に残るレールだ(写真01)。三池鉄道の廃線跡においてレールが最も長く現存する部分である。レールに載っている枕木は簡易な車止めだろう。北に少し進むとフェンスが張られていて、その先は立ち入りできない。スライドショーの1枚目はフェンス越しに奥を見たところである。

早鐘踏切は三池鉄道と県道3号線の交差部に設置されていた踏切だ。踏切設備やレールは撤去済み(写真02)。三池炭鉱宮原坑に行くには、この早鐘踏切跡から廃線跡沿いの道を進む。踏切跡の横にある今野病院を目印にすると分かりやすい。

早鐘踏切跡から南側は、レールや架線柱等は撤去されたものの路盤はよく残っており、廃線跡を辿ることができる。早鐘踏切付近は黒いゴムシートが敷かれて重しとしてPC枕木が置かれている(写真03)。このように廃線跡の所々にゴムシートが敷かれているが理由は分からない。しばらく進むと切り通しがあって、末広橋梁という跨線橋が架かっている(写真04)。末広橋梁については別記事を参照のこと。

その先には宮原踏切という小さな踏切があった(写真05)。踏切横の水路の橋台から判断すると、三池鉄道の複線と宮原坑への引き込み線で、踏切には少なくとも3本の軌道が通っていたと思われるが、中央のレールだけが残っている。ということは、三池鉄道末期のこの区間は単線だったのかもしれない。また、前述の水路にはレールを用いた橋桁とレンガ造・鉄筋コンクリート造橋台が残っている(写真06)。

2014(平成26)年現在、宮原踏切跡から諏訪川橋梁北側までの廃線跡はおそらく史跡保護のため立ち入り禁止になっている。三池鉄道の廃線跡のうち、早鐘踏切跡〜宮原坑〜諏訪川橋梁〜万田坑〜三池港の区間は、世界遺産候補「明治日本の産業革命遺産」の構成資産に選ばれているが、指定区間で立ち入りが規制されているのは、筆者が現地訪問した限り宮原踏切跡〜諏訪川橋梁北側だけのようだ。説明板が仮置きされていたり草刈りがなされた状況から、いずれは開放する予定と思われる。ただ、当面は廃線跡沿いの道路から見学するしかない。宮原坑付近の跨線橋が絶好の撮影ポイントである(写真07)。

この跨線橋から先は道路が併走していないので、諏訪川橋梁に行くには迂回するしかない。橋のたもとの築堤を登ると(本当はここも立ち入り禁止だが)、廃線跡や諏訪川橋梁の上部が見られる(写真08)。橋梁上の配管には水道やガスが流れている。廃線跡が開発もされずそのまま残っているのは、地下をパイプラインが通っているためだ。なお、宮原坑付近の跨線橋から諏訪川橋梁の間に存在する橋梁1基を筆者は見落としている。

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【01】早鐘踏切付近のレール
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【02】早鐘踏切跡
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【03】早鐘踏切付近の廃線跡
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【04】末広橋梁と切り通し

【05】宮原踏切跡
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【06】宮原踏切付近の橋梁
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【07】宮原坑と廃線跡
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【08】諏訪川橋梁

データ

住所:福岡県大牟田市合成町・青葉町・米生町・宮原町・臼井新町・馬込町
竣工:明治時代
撮影:2014(平成26)年5月

参考文献

  1. 『筑後の近代化遺産』九州産業考古学会筑後調査班、弦書房

作成日:2014/12/29、最終更新日:同左

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