池島炭鉱 高速人車「女神号慈海」
概要
この高速人車は電気機関車2両と人車4両の6両編成。リンク1に載っている現役時代の映像を観ると、「機関車+人車4両+機関車」という編成だった(機関車が両端にあるのは往復運転のため)。これに加えて災害時に負傷者を乗せる専用人車もある。炭鉱の坑道は長く複雑に入り組んでおり、 冒頭のページで述べたように坑内軌道の総延長は90kmにもおよぶ。炭鉱夫は竪坑や斜坑で地下に下りるが、その下りた場所から採掘現場である坑道の先端までの距離が長いため、人車のような乗り物で移動する必要があるわけだ。つまり海底炭鉱を走る通勤列車であり、当時は海面下650mの基幹坑道を1日19回往復した。軌間は610mm。
もちろん、他の炭鉱でも坑内の移動手段に人車を用いていたが、池島炭鉱の「女神号慈海」はそのスペックがとても高かった。機関車は蓄電池式電気機関車で、製造元はドイツのSchalke(シャルケ)。1872年に創業した製鉄所用設備や鉱山鉄道用機関車などのメーカーである(写真02、リンク2)。機関車の主な諸元は全長5,430mm、全高1,700mm、全幅1,050mm、重量15t、出力62kw。人車の方も同社製だと思うが裏付けは取れていない。諸元は全長9,600mm、全高1,700mm、全幅1,100mm、重量5t、定員24人(1両)。国内炭鉱の人車は扉の無い吹きさらしでシートも簡易な造りが一般的だっただけに、まるで客車のような人車は炭鉱夫にさぞ歓迎されたことだろう。しかし、池島炭鉱は2001(平成13)年に閉山してしまい、せっかく導入した高速人車はわずか5年ほどで役目を終えてしまった。
閉山後、機関車1両と人車2両(そのうち1両は負傷者用)は福岡県大牟田市に寄贈された。池島炭鉱も大牟田市の三池炭鉱も三井系というつながりがあったからだろう。同市では人車の動態保存を検討していたらしいが、それは実現せず、1998(平成10)年に閉園した ネイブルランドというテーマパークの跡地に、他の炭鉱の車両とともに一時期展示されていた(写真03・04)。これは、隣接する大牟田市石炭産業科学館の屋外展示という扱いだった。その後、私立大学の進出に伴いネイブルランド跡地は造成され、屋外展示は取りやめになった。現在は石炭産業科学館がどこかに保管しているはずだが、一般公開はされていない。なお、寄贈されなかった車両(機関車1両+人車3両)は池島に残っており、炭鉱見学ツアーで見ることができる(写真01)。
【01】池島の保存車両
【02】シャルケのプレート
【03】大牟田市の保存車両
【04】負傷者用人車(緑十字マーク付き)
データ
所在地:長崎県長崎市池島町、福岡県大牟田市岬町
製造:ドイツ Schalke(シャルケ)
製造年:1996(平成8)年頃
撮影:池島炭鉱の保存車両 2011(平成23)年9月、大牟田市の保存車両 2007(平成19)年8月
備考:大牟田市の保存車両は現在非公開
参考文献
- ネイブルランド跡地、屋外展示の説明板
リンク
- 九州最後の炭鉱「池島」より > 高速人車「女神号慈海」について
- Schalke > Rail Vehicles > Mining Locomotives シャルケ公式サイト 英語版
- 津軽軽便堂写真館 > 池島炭鉱跡1 > 池島炭鉱跡2
- 想い出の三池炭鉱 > 大牟田市石炭産業科学館 > 第7回収蔵品展より
作成日:2014/9/20、最終更新日:同左