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キリンプラザ大阪 ( 1/2 )
KIRIN PLAZA OSAKA
大阪市、高松伸、1987 〜2008 (昭和62〜平成20)年、現存せず
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【02】

バブル時代の企業メセナの代表例

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日本経済がバブルに突入する1980年代後半、未曾有の好景気で金が余っていた各企業はメセナと呼ばれる文化支援事業に相次いで参入します。キリンプラザ大阪もそのようなメセナの一つで大手飲料メーカーのキリンが建設。ギャラリー、多目的ホール、飲食店から成る複合文化施設でした。
 
施主のキリンは、ここを拠点に新人アーティストの発掘・育成を目的としたキリンアートアワードを開催したり、現代美術や建築関係の展覧会を開催するなど、メセナには積極的でした。バブル崩壊後もその活動は続いていたのですが、残念ながら2007(平成19)年に閉館して売却、翌年に解体されて跡地には別の商業ビルが建ちました。いくら文化を唱えても経済事情には勝てず、たった20年で終わってしまうところに我が国の企業メセナの限界がうかがえます。
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【03】

設計者の本領が発揮された建築

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キリンプラザ大阪の設計者である高松伸氏は、SF映画に登場しそうなメカ的要素に満ちた作風で知られています。
 
あまりに個性的なデザイン故に、周囲から浮いて孤高の存在と化すケースが多いものの、さすがに大阪の繁華街 道頓堀ともなるとこれぐらいアクの強い方がまちなみに合っていました。後に高松氏は公共建築も設計するようになりますが、公共の制約からか個人的には大味な印象は否めません。改めてキリンプラザ大阪を見返すと、やはり彼の本領は消費の海にどっぷり浸かった商業建築にあるなと実感します。
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【04】

バブル時代の象徴

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キリンプラザ大阪の本当の姿が見られたのは夜でした。色とりどりのネオンサインに囲まれて4本の塔が発光する姿はまるで巨大な照明装置。消費と欲望がむき出しになったまちなみの中で、強烈な存在感を主張しながらも街の一員として溶け込んでいたその絶妙なバランスは見事でした。
 
キリンプラザ大阪はバブル時代の繁栄ぶりを象徴する建築といっていいでしょう。わずか20年で解体されてしまった以上は「バブルの徒花」といわれても仕方のないところですが、その短命さも含めて確かにあの時代にしか生まれ得ない建築だったのです。
名称

キリンプラザ大阪

KIRIN PLAZA OSAKA

設計

高松伸 / 高松伸建築設計事務所

TAKAMATSU Shin / Shin Takamatsu Architect and Associates

所在地

大阪市中央区宗右衛門町7-2

用途

ギャラリー、多目的ホール、飲食店

竣工

1987(昭和62)年

構造・規模

構造:鉄骨鉄筋コンクリート造、階数:地下1階 地上7階 塔屋1階

建築面積:356.96m2、延床面積:2,390.83m2

備考

1989年度日本建築学会賞

2007年に閉館・売却、2008年に解体、現存せず。

参考文献

  1. 『新建築』1988年1月号、新建築社
  2. 『JA Library 1 高松伸』季刊JA 1993年Spring別冊、新建築社
  3. 『建築MAP 大阪』65頁、TOTO出版

 
リンク

  1. KPOキリンプラザ大阪 ウィキペディア

公開日:2004年2月15日、最終更新日:2011年10月1日、撮影時期:2003年9月・2005年4月
カメラ:Nikon COOLPIX775、Panasonic LUMIX DMC-FX30(Photoshopで修正)

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